Wednesday, June 13, 2007

《读书》专题研究

《左岸文化网》という文芸評論サイトの存在については、以前紹介したとおりですが(5月5日の記事)、そこにこれまた以前(5月15日)触れたことのある雑誌『読書』に関するテーマ研究論文集が掲載されています。研究を行ったのは、北京大学を中心として、清華大学、南開大学の大学院生が参加するグループです。日本の大学でもしばしば行われている(いまはどうなのか?)、自主ゼミのようなかたちの自発的な集まりのようです。もっとも、コアメンバーは『北京大学研究生学誌』という、北京大学の大学院生がつくる学術雑誌の構成員たちで、2005年に現代学術史研究をやった延長上で、『読書』をその創刊時から一気に読み直そうということになったのだそうです。以下にその概要を紹介しましょう。
  1. 师力斌《导言:知识分子的心灵史》(師力斌「はじめに:知識人の魂の歴史」)

  2. 刘岩《80年代〈读书〉与后80年代思潮--以“自由主义”和“文化保守主义”为中心》(劉岩「80年代の『読書』とポスト80年代の思潮--「自由主義」と「文化保守主義」を中心として」)……90年代の「新自由主義対新左派」の図式として表現されるようになった論争も、もとはといえば、消極的自由の追求に価値を置くリベラリズムと文化保守主義がコインの両面として共存するハイエク的自由主義を肯定するような価値観を共有していたと筆者はいいます(ここで挙げられているのは、新左派の代表的人物崔之元氏と台湾のハイエキスト林毓生氏、さらに現代新儒家の大物杜維明氏です)。

  3. 薛刚《往事与随想--〈读书〉史学类文章研究》(薛剛「往事と随想--『読書』歴史学関連記事研究」)……『読書』に90年代以来、掲載されてきた歴史ナラティヴの「書き直し」に関わる記事を、思想史、近代高等教育史、「忘却の歴史」、「マクロヒストリー」、学者史、という諸分野にまとめて紹介しています。基本的にこれらは、『読書』もまた90年代の学術史・思想史ブームという大きな文化背景の中で、話題を提供してきたことを物語っているでしょう。このうち、思想史分野に関しては、孫歌氏らの貢献として、溝口雄三氏に代表される「日本発の史的視座」の紹介と影響について触れられていることが、日本人読者の興味を引くところでしょうか。

  4. 郗戈《未来不能没有马克思--〈读书〉杂志中的马克思形象》(郗戈「未来にマルクスは欠かせない--『読書』におけるマルクスイメージ」)……「読書に禁区なし」という標語とうらはらに、80年代初期の『読書』は、イデオロギーとしてのマルクス像を遵守しながら議論を展開していたと作者はいいます。しかし、それはやがて学理としてのマルクス、周縁化したマルクス(以上80年代中後期)、近代批判言説としてのマルクス(西欧マルクス主義、90年代)へと変化していきます。このながれは、直接、近年来市民権を得たことば「公共知識人」たちの批判思想へと連結させられていきます。『読書』で繰り広げられる批判的言説のよりどころとして、マルクスがかつてのイデオロギーイメージを離れて、一種の理念型として観念されるようになったというのです。

  5. 钟城、方利维、陈小鼎、黄琪轩《〈读书〉中的政治哲学与政治科学》(鍾城、方利維、陳小鼎、黄琪軒「『読書』における政治哲学と政治科学」)……80年代には、多くの西洋政治思想が紹介され、中でも、ルソーの存在が重要であったことは、2.の中でも触れられています。ルソーは、「ブルジョア的自由主義・平等」に対する主な参照例として関心を引き起こし、同時に「一般意志」をめぐって、消極的自由と積極的自由をそれぞれ擁護する論争へとつながっていった、と2.は概括していました。また、4.では、80年代後期におけるウェーバーの影響、また、90年代以降の、西欧マルクス主義言説を主流とする状況の中での、ローティやデリダとの対話の試みなどに言及されています。一方、この論文では、外国政治制度に関する比較政治学的視座、国際関係論といった「政治科学」関連記事の整理に力点を置いています。やはり特徴的だと思われるのは、第三世界に対する関心が一貫して持続していることでしょう。また近年では、9・11後のグローバル政治に関する批判言説が、やはり、この論文でも取り上げられています。

  6. 艾佳慧《“阳阿”“薤露”的尴尬--〈读书〉中社会学类文章概观》(艾佳慧「「陽阿」「薤露」のきまずさ--『読書』における社会学関連記事概観」)……「陽阿」と「薤露」は古代楽曲の題名。通俗楽曲としての「下里巴人」や雅曲の代表「陽春白雪」とのはざまにあって、俗でも雅でもない中間性を標榜したのが『読書』だったと作者は述べています。この論文が対象にするのは社会学関連記事ですが、ウェーバーやブルデュー、フーコーらが『読書』を通じて中国に広く知られるようになり、また中国社会学の元祖ともいえる費孝通などの初期の成果への注目にかんしても『読書』の貢献は大きかったにもかかわらず、紹介の文章が、まさにその読みやすさ故にアカデミズム言語の記憶から取りこぼされてしまっていると作者は分析しています。1997年に汪暉氏や黄平氏が編集を担当するようになってから、戸籍制度改革、国有企業改革、三農問題、農民工問題などに対する記事が多く見られるようになりましたが、しかし、本質は変わっておらず、その結果として読者離れを起こしている、と作者は指摘しています。もっともこの読者離れの背景として、中国アカデミズムにおける学術生産評価制度などの仕組みが関わっていることを思い越す必要もあるでしょう。なお、かつて毛沢東がかの有名な延安での『文芸講話』で、「現在取り組まなければならないのは、「下里巴人」と「陽春白雪」をいかに統一するのか、つまり質の向上と普及との統一の問題なのだ」と述べていることが思い起こされます。
  7. 刘念《以学术介入生活--〈读书〉27载经济类文章研究》(劉念「学術から生活にはたらきかける--『読書』27年経済関連記事研究」)……『読書』における経済関連記事の特徴を年代ごとに整理した上で、『読書』が経済的問題に強い関心を持っているというよりも、現実に対する人文学的関心から出発して、経済問題をとりあげてきたのだと作者は総括しています。経済記事については、今日では数多くの刊行物があり、『読書』の影響力は非常に限定的である、とりわけ「読書体」とも呼ばれる、一般向けではない文体が潜在的読者層であるはずの大学生・大学院生すらも敬遠がちにしている、と作者は指摘します。
  8. 陈振中《三代认同时面对文学》(陳振中「三世代が同時に向き合う文学」)……「三世代」とは、①1930年代から1940年代に登場し、建国後に埋もれてしまった作家(卞之琳銭鐘書など)、②1950年代に登場し、80年代に再び「花開いた」作家(王蒙王元化など)、③80年代の大学生、もしくは当時の若手研究者(劉再復陳平原など)を指します。作者によれば、とりわけ①と②③の間の差が大きく、80年代における「九葉派」詩人に対する回憶的記事が①によって多く執筆される一方で、当時流行していた「朦朧詩」は『読書』の中でまったく無視されていたといいます。80年代以降の文学創作や文学研究は、五四以降の伝統を参照しつつ、同時に過去との分裂を体現していたのであり、その意味では、中国知識界のあり方が89を分水嶺として変質したという一般的な見方に対して、作者は疑義を呈しています。
  9. 高慧芳《〈读书〉中的黄裳》(高慧芳「『読書』における黄裳」)……黄裳氏は古書探訪や辨僞などに優れた功績をのこす蔵書家・作家で、80年代『読書』に最も多く文章を掲載した人です。考証学的な手法や文人趣味的な関心によって多くの散文を書き、それが「読書に禁区なし」の『読書』の中で、一貫した場を得続けていたということ、それ自体が興味深いことで、論文集の最後の一篇を飾るのにふさわしい論文ではないでしょうか。

さて、いろいろありましたが、最初の紹介文にもあるとおり、『読書』は学術専門誌ではないので、この研究グループが各ディシプリンごとに分担して分析を行うこと自体、当初から無理がなかったとはいえず、その点こそが、『読書』のユニークなスタイルを象徴しているとも言えるでしょう。

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