Saturday, November 28, 2009

清华国学院

『中華読書報』2009年11月4日のトップ記事を見て、一瞬、驚きました。「清华国学尝试“体制特区”办院模式」(清華国学、「体制特区」経営モデルの試み)という文章です。1920年代のころ、清華研究院国学門は、清華国学院として知られ、梁啓超や王国維、陳寅恪、趙元任(いわゆる「四大導師」)という清末民国初期の中国知識界を代表するスター的存在が中心となって、多くの学者が輩出しました。清華大学は解放後の学部再編制で理工系の総合大学になりましたが、近年来、人文社会系の学科再建に力を入れ、強力なスタッフを集めています。

Friday, November 27, 2009

“民族认同与历史意识”国际研讨会

上海复旦大学文史研究院与荷兰莱顿大学自12月14日至16日共同主办以“民族认同与历史意识:审视近现代日本与中国的历史学与现代性 History, Identity, and the Future in Modern East Asia: Interrogating History and Modernity in Japan and China”为题的国际学术研讨会。会议网站请由此进入

上海の復旦大学文史研究院とオランダのライデン大学が12月14日から16日までの期間、「ナショナル・アイデンティティと歴史意識:日本と中国の近現代における歴史学とモダニティを問う History, Identity, and the Future in Modern East Asia: Interrogating History and Modernity in Japan and China」というテーマで国際シンポジウムを開催します。上のリンクから入ることができます。

Tuesday, November 24, 2009

又一本重要著作

我的同事也是畏友林少阳在日本出了新著《「修辞」という思想:章炳麟と漢字圏の言語論的批評理論》(現代書館、2009年11月),和刚出版的坂元弘子《連鎖する中国近代の“知”》一起,都会成为今后研究章太炎甚至中国现代思想史绝不能绕过的重要著作。

わたしの同僚であり友人でもある林少陽さんが新著『「修辞」という思想:章炳麟と漢字圏の言語論的批評理論』(現代書館、2009年11月)を出版しました。坂元ひろ子氏の『連鎖する中国近代の“知”』とともに、今後の章炳麟研究、ひいては中国近代思想史研究が避けて通ることのできない重要な著作になること、間違いありません。

Monday, November 23, 2009

旷新年论张承志:日本与中国

下で紹介した、『読書』最新号掲載の旷新年《以卵击墙》は、張承志の著作活動を、村上春樹の「卵」に喩えて、その近著、《敬重与惜别:致日本》(中国友谊出版公司,2009年)を紹介・評論しています。村上春樹の有名な演説もまた、とっくに中国語に翻訳されているということで(李华芳译《与卵共存:村上春树耶路撒冷文学奖获奖辞》)、このあたりは全世界の動向に関心を張り巡らしている中国の知識界らしい素早さで相変わらず驚きですが、曠新年氏は、これを引きながら、張承志氏の日本論を、日本と中国のモダニティの問題へと広げて、味わい深い評論を展開しています。

《读书》2009年第11期目录及其他

『読書』最新号(2009年第11期)の目次(主なもの)は以下の通りです。
何梦笔《经济转型:规则与选择》
陈彩虹《以邻为壑的货币政策》
钱正英、马国川《中国水利六十年(下)》
李泽厚、刘再复《存在的“最后家园”》
白永瑞《思想东亚》
丁元竹《理解均等化》
钱永祥《政治哲学作为道德实践》
刘丽蓉《人世禁欲、资本主义精神与梅毒》
柄谷行人《重建共产主义形而上学》
强世功《“不成文宪法”:英国宪法学传统的启示》
徐斌《公民的尊严:立法vs.司法》
张晓唯《竺可桢日记里的大学秘史》
刘东《文字之缘与题跋意识-关于宋代文人心态的三通批注》
利求同《私家藏书的“不散之散”》
吉柄轩《国弱无外交·使弱交不成》
旷新年《以卵击墙》
黄专《一个现代叙事者的多重世界》
杨伟《在《夕子的近道》上邂逅大江健三郎》
洪作稼《古典音乐指挥家纵横谈(上)》
汤双《曾经发生在德国的反爱因斯坦运动》
马万利《传道授业与篡改历史》

たまたまなのかどうなのか、日本関係の文章が多いですね。柄谷の文章は時々掲載されます。もちろん、彼自身は中国語を解さないので、だれかが翻訳しているわけです(訳者名が抜け落ちることがよくあるのがちょっと問題ですが、それはさておき)。今回の文章は、どうやら『トランスクリティーク』の中国語訳がまもなく完成(?)か出版(?)されるのに併せて、原版出版後の彼の思想について、彼自身が中国語読者に紹介しているものです。旷新年《以卵击墙》は村上春樹の例のイスラエルでの受賞講演を引き合いに出しながら、張承志の新著《敬重与惜别-致日本》を紹介したものです。張承志は清華大学付属高校時代に紅衛兵となり(彼自身の回顧によると、「紅衛兵」の名付け親だそうです)、内モンゴルの草原で下放生活を送り、80年代後半以降、日本でもその名を広く知られることになった作家です。彼は長期にわたって日本での生活や見聞を《天涯》に連載しており、ユニークな日本論を展開しています。そのほか、大江の名前も挙がっていますね。大江、村上、柄谷、とそれぞれまったく異なったタイプの三人ですが、日本の思想状況を知る窓口としては、おそらく(賛否いろいろあるとしても)、たぶん広く国外で共有されているとおりでしょう。
2年ほど前、汪暉と黄平が突如編集の職から解任されたことは、中国国内でいろいろな憶測と反響を呼び、日本でもその筋の事情通らしい人々が、紹介や評論を展開していました。しかし、その後の『読書』については、目立った分析がありません。国内各所で開かれた事件をめぐる座談会の中で、『読書』をずっと支え続けてきたもと編集代表者の董秀玉が、若干いらだたしげに、「更迭という事件にばかり焦点が向けられていて、『読書』を引き継いだ次世代の編集者に対する関心が乏しすぎる。」という趣旨の発言をしていたことを思い出します。彼女は同時に、すでに編集スタッフの一員として長いことスキルを蓄積してきた新編集陣が、そんなに簡単に『読書』の精神を終わらせてしまうはずはない、『読書』は世代を新たにしてより発展していくに違いない、ということをも述べていました。確かに、その後の『読書』には変化がありました。今号の目次にも顕著なように、巻頭に近いところに改革開放以後の経済・法制などの変化とその成就を回顧的に振り替える記事が増えたこと、李沢厚のような今日的文脈ではもはや当たり障りのなくなっている文化人の登場が増えたこと、などはその一部です。しかし、韓国の白永瑞にせよ、柄谷にせよ、90年代後半以降、日本、中国、韓国の間で盛んになった知的交流の過程で相互に見出された知識人ですが、そのプロセスには汪暉や黄平、そして『読書』が積極的に関わっていたのでした。記事の書き手もずっと継続しており、その点でも、その後の『読書』は、編集者の交代によって当然起こるべき変化を見せつつも、やはり、もとの『読書』としての性格をほぼそのまま継承することに成功しています。
現象を追いかけて、それを適確に伝えることは重要なことです。しかし、対象を把捉するための道具が相変わらずの二元論的図式やイデオロギーを前提とした権力論的分析の枠組みでは、現象の認識どころか、イデオロギーや「ためにする議論」の上塗りに終始してしまうのではないでしょうか。

Wednesday, November 18, 2009

中国近现代知识的互动

坂元弘子教授(一桥大学)新近出版的一本专著《連鎖する中国近代の“知”》(研文出版、2009年11月),汇集了她自1980年代至今发表过的中国近现代思想史论述,分别论及谭嗣同、章炳麟、熊十力、梁漱溟、李叔同等人物,是一本不错的思想史著作。正如作者在其后序中所说,中国近现代思想史研究在日本“甚至面临成为‘绝学’的危机”,所以,出版这本著作的意义应该是很大的。自从佐藤慎一老师1996年出版《近代中国の知識人と文明》(東京大学出版会)以来,时隔十几年又出了这么一本俯瞰近现代思想史的大师级专著,岂不是一件快事!

一橋大学の坂元ひろ子教授の新著『連鎖する中国近代の“知”』(研文出版、2009年11月)は、1980年代以降に発表された中国近現代思想史論考をまとめたもので、譚嗣同、章炳麟、熊十力、梁漱溟、李叔同などをそれぞれ取り上げて論じた思想史の好著です。「あとがき」のなかで触れられているように、日本の中国近現代思想史研究は「「絶学」の危機に面しているとさえ思われる」状況ですので、本著の出版には大きな意義があると言えるでしょう。佐藤愼一先生が1996年に『近代中国の知識人と文明』(東京大学出版会)を出してからすでに十数年、ようやくまた斯界を代表する論者がこうして近現代思想史を俯瞰的に収めた著作を発表したという点でたいへん重要です。中国に関心がある多くの方に読んでもらえれば、と思います。

Thursday, November 12, 2009

崔健的“痛心疾首”和“不合时宜”

たまたま手にした『中国青年報』2009年11月4日をめくっていて、「崔健:廉颇老矣」と題する短いコラムが気になりました。書き手は杨芳という人。崔健といえば、80年代後半に登場した中国のロック歌手です。「廉颇老矣」とは、戦国時代に趙国の名将として武勇をはせた廉頗のこと。後に野に下り、魏国に身を寄せていたころ、趙が秦の度重なる攻撃で劣勢に立たされ、再び彼を呼び寄せようとしたところ、様子を伺いに行った使者が「食欲こそあるが、もう年をとってしまっている」と報告したために、趙王は結局、呼び寄せるのをあきらめました。このことから、能力も志をあるのに、老けてしまったと評価されてあるべき地位を与えられない人の不遇さへの感嘆として、「廉颇老矣」ということばがよく使われているようです。
さて、崔健の場合はどうなのでしょう。以下に、全文を訳しておきます。

このロック歌手の名前をよく見かけるのは、音楽のチャート上ではなく、娯楽ニュースのタイトルだ。数日前のこと、かつてのゴッド・ファーザーは、例によって中国のミュージシャンたちにけんかを売った。彼が言うには、今では科学技術が発達して、ソフトを使えば修正できてしまうので、「歌のへたくそなやつがうまいやつになっている」。
アニキのつらさにはため息をつかざるを得ないが、アニキの時代錯誤ぶりにもむせびがもれる。今の人々が髪の毛を切るのに大金を惜しまないのに、正規のCD一枚すら買おうとしないのはなぜか、「快男快女」(ファン投票で選ばれて芸能界にデヴューするアイドル歌手たち)のコンサートには行きたがるのに、朦朧詩の詩集一冊すら買おうとしないのはなぜか、近代建築を文化財であるかのようにパッケージしようとするのに、祖先が遺した文化遺産には見て見ぬ振りをするのはなぜか。きっとこれらの理由を彼はわかるはずもないのだろう。
彼はただ、人々が世俗に呑み込まれていくことを歯がゆく思いながら見つめることしかできない。わたしもあなたもそうであるように、もうとっくに「一无所有」(崔健の代表曲)は聞かなくなってしまったし、幼いころの夢についても語らなくなってしまった。ただ、時として新聞の片隅に、年取った男がぶつぶつ言っているのを見つけては、それをまた投げやって、退屈な日々を繰り返すのである。