Friday, July 29, 2011

假期读书指南

どうやら試験対策でこのブログに立ち寄る人が多いようですので、「夏休み読書ガイド」を。試験勉強も大事ですが、人生それだけではありません。思いっきり泥臭いバイアスがかかっていますが、まあワセダ出身ということでお許しください。
「3・11」とはいったい何なのか、いまここに生きているという選択を(たったいま、この瞬間も)しているわたしたちにとって、これはたぶん避けて通ることのできない問いです。思えば、わたしが学生のときにはチェルノブイリ事故の直後で、脱原発や環境問題が深刻そうに議論されていました。時あたかもバブル経済真っ盛りでしたが、そうしたムーヴメントが一時のモードとして大衆文化の中で消費されていくだけになろうとは。もちろん、そうでない人も確実にいました。とくに、原子力研究のまっただ中から、反原発の市民科学者へと道を大きく転換した高木仁三郎(『市民科学者として生きる』、岩波新書)は、そこに実存を賭けていました。彼の生き方のインパクトは大きかった。大きく言えば、知識人とは何なのかという問題に対する一つの生きた解答でした。わたしにないものだからなのか、それとも、サイードのようなどことなく貴族的な香りを漂わせる知識人像がわたしには遠すぎたのか、どちらかはわかりませんが、わたしはこういう野武士的な態度に引きつけられます。そういう意味では、アントニオ・グラムシ(『グラムシ・セレクション』、平凡社ライブラリー)などもお薦めです。また、ヴァルター・ベンヤミンなどもいいかもしれません。彼の書いたものは難しいですが、三島憲一の解説(『ベンヤミン 破壊・収集・記憶』、講談社学術文庫)はわかりやすくておもしろいです。
バブルのおかげで驚くべき売り手市場だった就職活動に強烈な違和感を感じて、ついに日本を飛び出すことになったわたしですが、後ろから背中を押してくれたのは、たぶん寺山修司の著作群だったと思います。飛び出した先が中国だった理由は個人的なものがいろいろありますが、映画の影響も大きかったでしょうか。80年代後半からの中国映画ニューウェーブの旗手、陳凱歌(『私の紅衛兵時代』、講談社現代新書)は、文革が単に中国現代史の歴史事象であるだけではなく、社会的に生きるほかない人間の狂気と脆さ、そして悲劇からの再生の葛藤などをまざまざと見せつけてくれました。その一方で、張承志(『紅衛兵の時代』、岩波新書)は、革命の理想(理想の革命)が妖しい魅力と、現実に対する根本的な批判性とをたたえていることを教えてくれます。その源流には、毛沢東(『実践論・矛盾論』、岩波文庫『文芸講話』、岩波文庫)のような反啓蒙的啓蒙としての知識人論(反知識人論)があるはず。安易な否定も肯定も許されない厳しい世界が、中国の革命の中には絡み合っています。
思えば、毛沢東というたぐいまれな文学・芸術的才能に恵まれた人物が、革命という政治をになってしまったことが、悲劇の始まりだったのかもしれません。中国における革命とその後の政治的災厄とのあいだをつなぐ知性の甚大な責任の前で懊悩したのは、武田泰淳でした。一つあげるなら、『秋風秋雨人を愁殺す』(筑摩書房)です。
中国に関心がある人は、映画から入るのもいいかもしれません。賈樟柯『長江哀歌』(原題《三峡好人》)、張芸謀『紅いコーリャン』(《红高梁》)は本当にお薦め。前者は、ドキュメンタリーの手法を取り入れているので、今日の中国を知る上でも助けになりますし、なんと言っても、人と時代と社会を静と動の両方面のシンクロとして描こうとする物語が秀逸。後者は、80年代映画を代表する作品で、賈樟柯とは対極のフィクショナルなストーリー。思えば、1980年代という現代中国の青春時代を象徴するファンタジーだったのかもしれません。賈樟柯については、本もあります(『ジャ・ジャンクー「映画」「時代」「中国」を語る』、以文社)。
長い小説を読んでみたい人には、『西遊記』(岩波文庫)がイチオシ。中野美代子さんの軽妙な訳でどんどん読み進められます。日本でも根強い人気のあるこの物語ですが、本家のお話は日本で普及しているものとはずいぶんちがいます。わたしはこれは、仏教的啓蒙のビルドゥングス・ロマーンではないかとひそかに思っています。近代物では、林語堂『北京好日』(芙蓉書房出版)、それにパール・バック『大地』(新潮文庫)。どちらもオリジナルは英文ですし、後者に至っては中国人の作品ですらありませんが、侮ることなかれ。中国に綿々と生き続ける人々とその文化に対する限りない愛着で書かれたものだからこそ有する普遍性がそこにはあります。それから、巴金『家』(岩波文庫)。同時代ものでは、余華『兄弟』(文藝春秋)。表現がグロテスクとか、内容があまりに下卑ているなど、批判はありますが、むしろわたしはその透徹した時代観察力にすごみすら感じます。中国の近代文学と言えば、もちろん魯迅ですね。訳もそろっているので、簡単に手に入りますが、高橋和巳も言っていたとおり、とにかく取っつきにくいものです。それでも日本で戦後これほど広く深く読まれたのは、竹内好がいたからです。とりあえず、『魯迅』(講談社文芸文庫)を読んでみましょう。できれば、武田泰淳の『司馬遷-史記の世界』(講談社文芸文庫)とセットで。
思うに、いつの時代でも魂を以て思考し、読書するということが必要かもしれません。大量に生産され大量に消費されていくモードの中には、そのような思考と読書がどれほど含まれているでしょうか。平積みされている震災・原発関連の書籍もまた、そのようなモードとして消費することを求められていないでしょうか。
では、皆さん、よい夏休みを。心して。

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