Monday, July 25, 2011

“中国模式”的局限和“全球社会主义”

Martin Jacques, When China Rules the World という刺激的なタイトルの本があるのだそうです。著者は、かつては日本でも愛知大学や立命館大学などで訪問研究をしたことがあるとか。最近は中国人民大学で研究していたらしく、そのせいでしょうか、すでに中国語版が先行(?)出版されています(马丁·雅克《当中国统治世界》,中信出版社,2010年)。

「中国モデル」論は、「ワシントンコンセンサス」に代わる「北京コンセンサス」とか、「第三の道」といった標語と共にここ10年ぐらいの間に噴出してきた議論ですが、オリンピック・イヤーの2008年ごろを境として、益々声が大きくなってきたように感じます。
祝東力氏は左岸文化で同書の書評を著しています(《全球困局的出路-兼评《当中国统治世界》》)。それによると、ジャック氏の指す「中国モデル」とは、要するに第二次世界大戦後から1980年代にかけて、日本やアジアNIEsが遂げてきた輸出依頼型の経済発展モデルの中国版ということになりそうです。そうだとすると、タイトルこそ刺激的ですが、どうやら話は近代化神話の延長にのっかっているようで、またもや好事家受けの書物かという感じがしてしまいます。わたしはこの本は読んでいませんし、いまのところ、まったく関心も持てないのですが、祝東力氏の意見のほうには多少興味を引くところがあります。
彼は、ジャック氏の中国モデル論に反対を表明し、「中国モデル」は限界をやがて迎えると述べています。その理由は、(1)中国の人口は膨大で、国際市場にはそれを支えるだけの規模がなく、輸出型の経済発展は立ちゆかない、(2)中国の廉価労働力が先進国の雇用を圧迫し、それらの国々の社会保障負担を増加させる、(3)低コスト労働力に頼る経済発展では、発展につれて実質労働収入が逓減するが、それを回避するための労働者組織化の受け皿が整備されていない、(4)都市中産階級の権利意識が高まり、政治的自由を希求する声が大きくなる、そうなれば、現在の権威主義体制を維持するのは難しくなる。
祝氏は今後の世界経済が発展から「均衡状態」へと移行すべきだと論じています。それは、外部市場に頼って利潤の拡大を求めて発展していく近代資本主義モデルとは異なった、「グローバル社会主義」でなければならないとも。それは、平等と自由のバランスを維持するために、一国のヘゲモニーではない「世界政府」のもとで達成されなければならないと言います。
祝氏は、毛沢東の社会主義モデルの中に、そのためのヒントがあると述べます。正直、この辺になると、わわたしには理解困難ではあります。それはともかく、安価な生産コストと持続可能な経済発展を求める触手が中国から東南アジアへ、そしてアフリカへと広がっていこうとするのを目の当たりにするいま、中国の経済モデルが、これまでの東アジア近代化モデルの繰り返しではなく、まったくちがった方向を模索し、その先に定常経済を構想するというのは、難しいとは思いますが、試みとしては決して軽視できないものではないでしょうか。

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