Tuesday, April 15, 2008

雨果·人性·现代

『中華読書報』2007年12月5日「国際文化」欄から。話題は2004年に中国で舞台化されたビクトル・ユーゴーの小説『九十三年』についてです。

张晴滟《〈悲惨世界〉与〈九三年〉:舞台上的雨果》
(略)監督は『九十三年』を演じることの現実的な意義について語った時に、それは彼自身ですらまだはっきりわかってはいない「モダニティの危機」についてもう一度考えることだと述べている。モダニティとは何か?そしてどんな危機だというのか?「文学への回帰、人間性への回帰、人間の魂への回帰」とつけられたインタヴューの副題がヒントになっているだろう。ここで問われてくるのは、「人間性」とはいったい何を指しているのか、ということだ。舞台版の答えは、何らかの宗教性であるという。それはユーゴーの作品の中に間違いなくはじめから存在しているものだろう。天才詩人ランボーはこの老人の作品の中に、「ヤハヴェの強烈なにおいがする」ことを敏感に感じ取っていた。フローベールやボードレールは異口同音に、ユーゴーの小説に登場する「人々は人ではない」と言っていた。ラマルティーヌは『九十三年』の宗教的ヒューマニズム哲学を批判して、「それは最も危険なものだ……大衆を惑わす最も致命的で、最も恐ろしいものは、これら実現しようのないものなのだ」と述べる。
1980年代以来、いわゆるリアリズムといわれる作品が数多く舞台を支配してきた。それらは人物関係を浅薄に図式化し、真の問題を避け、偽の答えを偽造してきた。『九十三年』の階級を超えた「人間性」に対するうったえは、あまり有力とも言えない反抗だと見ることができるだろう。だが、かつての古びた神事をもう一度持ち上げることは果たして最終的な終着点になるのだろうか?

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