Tuesday, January 22, 2008

走进八十年代

このブログをはじめたばかりのころ、80年代回顧録について書いたことがあります。生産部門の国有管理という社会主義体制の根幹を堅持しながら、文革否定の上に成り立つ思想解放が進んだこの時代は、今にして思えば、特殊な十年だったのではないでしょうか。このようなもの言いは極めてあいまいでよろしくないのですが、その特殊性は、かつてなくもう二度と返ってこないようなものという意味で真の特殊なのではないかと思います。NGO活動などの広がりというかたちで、学生を中心に青年層の社会・政治意識が昂じているのを伝え聞けば、そこに80年代に見られたような啓蒙主義的熱狂に似たものを感じることもあります。しかし賑々しい言論の背後にある社会経済の基本構造はすっかり様変わりしており、その結果、希望のありかが絶望的なまでに見えにくくなっているような状況がそこにはないでしょうか。拙訳による汪暉氏の「脱政治化」をめぐる論文は、そうした状況の中で、高度な緊張感を読者に引き起こさずにはおかない問題作であったと思います(残念ながら、日本国内での反響をあまり聞かないのですが)。
同時に、中国におけるポストモダニズムが始まったのも80年代でした。しかし、中国の知識界にポストモダニズムを伝えたのが、マルクス主義思想家フレドリック・ジェイムソン(Fredric Jameson)であったことは、ポストモダンとは何かを考える際に無視できない要素ではないでしょうか。中国ではジェイムソン文集が出版されており、その影響の大きさがうかがわれます。北京大学での有名な連続講演(《后现代与文化理论》)を当時聞いていた学生、張旭東氏は、その後ジェイムソンのもとに留学し、今日では、中国語世界におけるポストモダン批評家として、重要な著作を多く発表しています。例えば、英文の文集Postmodernism and China(Arif Dirlikとの共編)に彼が記した長いエピローグは、やや古くさくなった観もありますが、示唆に富むものだと思います。ポストモダンという境位から批判的省察を行う場合に、召還されてくる中国的モダンをどのように認識するのか、という問題は、直接今日的問題に跳ね返ってこざるを得ません。
中国語圏の批判思想を理解するためにも、もう一度80年代の思想状況を復習しなければならないと思うこのごろです。

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