Sunday, January 21, 2007

八十年代意味着什么?

2006年は80年代を回顧するディスコースが気になることがよくありました。わたし自身の体験と感覚でいえば、陳凱歌の鮮烈なデヴュー作『黄色い大地』(《黄土地》)や、同じころに日本でも取り上げられたテレビドキュメンタリー《河殇》の中に登場する農村・農民に対する眼差しと、近年来盛んになっていると伝えられる農村支援のボランティア活動とが、どこか深いところ、ある種共通のメンタリティとしてつながっているのではないだろうか、という乱暴といえば乱暴な、粗野な感覚があります。たぶん、両者をつなぐものがあるとすれば、グローバル化の刺激に対する反応とこれらとが不可分だということでしょうか。80年代には「球籍」問題として、今日ではWTO体制下での「三農問題」、「城郷格差」問題として、現れているわけですが、もちろん、そうした環境的要因が啓蒙主義的精神として表出しているという側面があると思われるのです。
中国の80年代ディスコースとしては、「新京報」が連載したコラムの影響が大きいのでしょうか。また、同じ「新京報」は、查建英《八十年代:访谈录》(三聯書店、2006年)を2006年の優秀図書に選んでいます。わたし自身はこれを読んだわけではありませんが、「新京報」連載コラムを集めた《追寻八十年代》(中信出版社、2006年12月)に序文を寄せた李陀氏が、これについて味わい深い評論を発表しています。『読書』2006年第10期に掲載された、《另一个八十年代》ですが、これについては、また後日ご紹介しましょう。ほかに、『中華読書報』2006年10月25日は、朱正琳《重审八十年代人的文化关怀》のなかで、甘陽《八十年代文化意识》上海人民,2006年7月)を紹介しています。朱文はネット上に複数流通していますので、リンクを貼り付けておきました。80年代の「思想解放」の中で、人間と文化に対する熱烈な関心が高まり、ひとつの時代の風景を構成していたわけですが、77級、78級という中国高等教育史上、空前絶後であるはずの大学生たちが、この時代の雰囲気を背負い、それをリードし、謳歌していたことは、現代中国思想文化史の中で、80年代が特筆すべき時代であることの大きな理由でもあるでしょう。
しかし、考えてみれば、この「思想解放」は、社会主義の制度的保障が有効に機能していたからこそ、あのような活発さを持ち得たのではないでしょうか。当時の大学生たちは、ほとんど無料で大学に通い、薫り高い文化の刺激を受けることができたわけですし、大学卒業後の進路についても、90年代後半以降現在に至る大学生たちが苦悩するような問題は存在していませんでした。大学へわが子を送り出す父母たちも「単位」の庇護のもとで、経済的・福祉的保障を享受しており、そのような意味では、彼らは自分たちの「選ばれし者」たる自信と、高邁な理想について、疑念を抱く必要は、あまり多くなかったのではないか、と想像されるのです。
ひるがえって、今日の中国の社会状況を見ると、どうなのでしょうか?一見、何の関係もないかのように見える文章ですが、楊念群氏の文章の一部を以下に紹介しておきたいと思います。

近代以来の知識人たちが繰り返し提唱してきた、家族の集団倫理を放棄し、国家政治倫理に転換するという二元対立的選択は、最終的にはどちらも、集団行動の倫理ロジックがある一定期間機能してきたことの結果だった。そこに欠けていたのは、まさに「個人」をいかに処遇するかということだった。つまり、政治倫理への転換を選択した際に、「個人」が日常生活の中で、どのような責任を果たすべきかについて、まったく再規定が行われなかったのだ。あるいは、どのような責任と義務を遂行すれば、自己の利益が得られるかということについて、まったく再規定が行われなかったのだ。忠誠なる行為を強いていく政治道徳が瓦解した後、あの、「政治」によって破壊されてしまったローカル・ネットワークもまた消失してしまった。そのようなときに、「個人」はどのような選択ができようか?農村における「公徳なき人」の出現は、他でもなく、伝統の日常倫理と、政治的強制とが、ともにモデルとしての意義を失ってしまった後に収穫された、畸形の果実だった。杨念群《亲密关系变革中的“私人”与“国家”》,《读书》2006年第10期

楊氏のことばが正しいとするならば、「公徳なき人」の発生を、モラルや向上心の欠落といった個人の問題(「私徳」の欠如)に解消することは、火に油を注ぎかねない危うさを潜めているのではないでしょうか。

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