Wednesday, July 25, 2007

中国的1960年代

中国語で「19××年代」と発音することに奇妙な違和感をいまだに覚えるのですが、21世紀も7年目に入り、この言い方もどうやらすっかり市民権を得ているようです。

さて、『読書』2007年7月号の編集後記を以下に抄訳します。

20世紀初期、共通の歴史的境遇(列強圧迫下の「東亜の病夫」と「近東の病夫」という)のおかげで、中国とトルコの革命家たちは、「運命を同じくする」かのような感覚を抱いていた。だが時は移り変わり、50年はじめには、両国の若い軍人同士が、トルコからはるか遠くの朝鮮で干戈を交えることになる。「国連軍」に加わった数千人のトルコ人兵士が極東の戦争で命を落としたとき、たくさんの若いトルコ人たちは問いつめるようになった:「なぜ我が国の若い軍人がはるか遠くに行って無駄死にしなければならないのか?」朝鮮戦争は若い世代の心に種子を落とし、彼らがその「60年代」を迎えるころになると、再びその眼差しを中国に向けるようになった。中国と中国革命、そして中国革命の中から生まれた思想や価値が多くのトルコ人青年を引きつけたのだ。中国と中国の革命を理解するために、彼らは中国語を学び始める。その一人がダーリック(Arif Dirlik)だった。彼はトルコを離れ、中国研究をライフワークにするようになった。より正確には、彼は中国革命研究をライフワークにしたというべきかもしれない。ポスト革命時代の中国研究の中で、彼の中国革命に対する執着ぶりは、確かに数少ないものだ。ダーリックの現代史研究に対する評論は、ひとつひとつをとれば、精密さを欠いているかもしれない。そして、そうであるが故にそれは論争的だ。しかし、時代思潮の変化やそのアカデミズムにおけるあらわれに対する彼の分析は、往々にして勘所をとらえている。
(中略)ダーリックの中国革命に対する関心もきっと、自らの社会と時代の雰囲気に対する彼の理解に根ざしているに違いない。彼の主な仕事はほとんどいずれも中国革命に関係している。初期の代表作『革命と歴史:中国的マルクス主義歴史学の起源』は、30年代初期の「中国社会史論争」に対する洞察に富んだ研究だ。『中国共産主義の起源』『中国革命におけるアナキズム』『革命の後に:グローバル資本主義に対する警鐘』など、書名を見るだけで、20世紀革命の「におい」が伝わってくる。わたしがダーリックの当時を知る人物に出会ったのは、あの(イスタンブールへの)旅行のときであった。彼女はダーリックが兵役を拒否するためにトルコを去ったのだと語ってくれた。
それは、「トルコの60年代」の物語だ。中国と関連しつつ、しかも中国とは状況がまったく異なった時代状況の中での物語だ。

Arif Dirlik氏のことは、日本ではまだあまり知られていないようです。わたしも名前しか知りません。今月号は、巻頭に、その《全球化、现代性与中国》(「グローバル化、モダニティ、そして中国」)を掲載しています。

No comments: