Saturday, March 10, 2007

关于“社会主义新传统”的学术讨论

近年来活発になってきた広州の雑誌『開放時代』は、2007年第1期の巻頭に「学術的視野としての社会主義新伝統」(《作为学术视角的社会主义新传统》)と題する座談会特集を掲載しています。劉小楓曹錦清孫歌賀照田各氏など、総勢十数名が参加して行われた討論会を書き起こしたもののようです。その中で、賀照田氏は、2006年3月に一橋大学で行われた学術講演《从苦恼出发》(苦悩からの出発)と重なる発言をしていますので、以下に摘録します。

1 中国は伝統的には倫理に高く関心を寄せる社会(梁漱溟に至ってはは中国社会のこうした特徴を「倫理本位」と呼んでいた)であり、中国の社会主義教育は理想主義の強い教育であったが、改革開放が始まって20年もしないうちに、中国社会が表面上、日常生活が商業論理に染められ、日常的心理が最も商業的雰囲気にかき乱されるような社会になってしまったのはどうしてなのか?2 中国人は生活を楽しみ、苦しみに耐える力が強いとずっと思われてきた(李沢厚はこれを「楽感文化」と名づけた)民族なのに、なぜ短期間の間に、中国の自殺率はこれほどまで急速に高くなってしまったのか?こうした問題はすべて、他の民族にも共通する資本主義の問題や近代性の問題、社会的不公正の問題によるものにすぎないのだろうか?それとも資本主義、近代性、不公正といった問題以外に李珍景が気づいた中国社会主義の歴史と関係しているのだろうか?

ここで言及されている李珍景とは、彼が韓国で知り合った知識人のようです。李氏は90年代の中国を見て「社会主義の実践は必ずしもそれに相応する社会主義的主体を生み出さない」という印象を抱いたのだと賀照田氏は紹介しています。賀氏は李氏とこの命題を共有しながら、新中国建国以後の歴史を振り返っていきます。革命とその果実に対する高い期待と情熱にはじまった新中国の歴史は、伝統的な倫理観念にかわって、いわゆる「共産主義新人」に代表されるような近代的社会主義・共産主義的倫理観を理想とする国民像を描き出しました。文革後にはそれが冷め切った、虚無的な精神状態へと陥ってしまうのですが、賀氏は、「正しさ」のスタンダードを共産党を中心とする国家イデオロギーのもとで指導的に提供していったことに、この原因を求めているようです。

精神史の視点から見ると、70年代末に始まり、1992年に全面的に広がった現代中国の改革が最初に関心を向けた現実とはどのようなものだったか。多くの社会では伝統から近代への転型が比較的長い時間をかけて行われ、ある意味それは近代と伝統の間を一歩ずつ行きつ戻りつするプロセスであり、その結果、しっかりした伝統が長期にわたって近代的なものと共存していくことになる。そうした条件の下で、人々は十分な時間的余裕を持って経験に基づいた省察をする場を持って、伝統を組み替え、近代に適応していく。それに引き替え、中国の今日の改革は高度な緊迫感とコントロール能力を有する近代国家が支配しているものであり、短期間のうちにひとつの近代のかたちから、さまざまな違いの大きい別様の近代へと転じていく。時間的には急速で空間的には同時的な展開、そして内容的には広範で、振れ幅の大きい変化が生じるのだ。これらすべてにおいては、歴史の発展プロセスのなかで平静な心理や、相対的にゆったりとした時間、相対的に頼りがいのある心の支えなどを持つのは難しい。それらは自分に向き合い、自らを歴史的コンテクストに置くために必要なものだし、それらをしっかりと整理することによって、自らの命の連続性、生活の意義、心身の安定感などの諸問題を考えていくのにも必要であるのにだ。それだけではなく、他の問題を考える場合にも、こうした次元から問題を考えていくためにもそうなのだ。こうしたことができないということは、人々はしっかり、はっきりした感覚に基づいて思考することができないということで、それではもちろん外からの気分に過剰に反応してしまうのも無理はない。

賀照田氏の言語はいつも論理の展開がわかりにくく、思弁的です。しかし、こうした分析は、彼自身の生活実感にもとづいているはずです。決してわかりやすくはない、ある意味ではためらいながら紡ぎ出されているともとれるその言葉遣いこそが、非常に個人的なレヴェルの問題意識を大きな背景のもとで言語化しようとする努力(というよりあがきに近いもの)の表れであると見ることができるのではないか、とわたしは想像します。また、その意味で、賀氏のこうした問題意識は、先に紹介した楊念群氏の問題と結びつけられて、生活圏におけるより普遍的な苦悩のすがたへと想像を進めていくべきなのだというのが、わたしの直感的な感想です。

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