Wednesday, July 28, 2010

当国际语言看待中文(日文版)

ネット上でたまたま、アメリカの研究者Tani Barlow氏の下記のようなことばを見つけました。その趣旨は、よく授業中私が学生さんたちにお話ししているのと重なっているところがあります。


中国は世界的に重要なプレゼンスを持つようになり、中国語は英語やスペイン語と同じような国際言語になりました。わたしたちの大多数は、フランス語でフーコーを読むのではなく、英語や中国語、スペイン語、日本語などの言語で読んでいるのです。中国の研究者は今では、中国語を使って世界各国の研究者の議論を読んでいます。例えば、ウェーバーとか、ハーバーマス、ジジェク、アマルティア・セン、竹内好といったようにです。これはアカデミックな生活の中ではあたりまえのことです。だから、世界各地の学者たちが中国語の新聞やブログ、書籍の文章を通じて、より密接に中国語アカデミズムの中で生じているできごとをフォローしていくようになったことはまったく不思議なことではないのです。これはわたしたち中国研究者(中国人であるかどうかにかかわらず)が、ベルリンやパリ、東京、シドニー、ヨハネスブルグなどで起こっていることをフォローしていくのと同じようなことです。世界中の人々が、中国の今日と未来の重要さに気がついており、だからこそ中国語を学びはじめているのです。中には小学校や中学校からはじめているケースすらあります。世界中のあちこちにいる読者や研究者が中国語を学んでいるのは、中国の歴史や社会を学ぶためです。

私としてはさらに次のように言いたいと思います。中国語は、単に中国を理解する窓口なのではなく、自分と世界を結ぶ回路なのだと。今日では、多くの国際的なシンポジウムの場で、中国語のネイティヴ・スピーカーではない話者が中国語を使って発表や討論をおこない、中国語の言説世界に新たな知見やバイタリティを注いでいます。また、多くの中国人研究者を含む、英語のネイティヴ・スピーカーでない論者たちが、同じように、英語で自らの見解を発表しています。バーロウ氏には、どうしても西洋中心の知的コンテクストから自由になっていないところがあり、言及されている学者の中に中国人の名前はありません。このことはもちろん、彼女の見方が偏っているということではなく、ただ彼女はこれまでのところについて、ありのままを語ったにすぎません。あと十年か二十年もすれば、世界の知的地図は大きく書き換えられているでしょう。そのころには、研究者の国籍だけを強調することにはいまほどの意味がなくなっているはずです。中国語の国際言語としての地位はそのころにはよりはっきりとしたものとなっているでしょう。

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