Tuesday, May 20, 2008

认识中国

中国四川省汶川地震の惨状が日本のメディアでも終日伝えられています。災害を起こした自然のエネルギーに対する衝撃の大きさは言うまでもなく、今なお必死の救出作業が続けられ、しかもこれから長期にわたって継続されるであろう困難な被災地での生活再建活動、など一連の現状と課題を思うと痛心の念に堪えません。
しかし一歩下がって冷静にこの度の事態を日本の側から眺めてみると、特筆すべき重大な要素は、いわゆる「国際救助隊」よりもはるかに規模の大きい人の群れが被災直後から第一線に入っているという事実でしょう。おそらく、これほど多くのメディア関係者が同時期に中国社会の広汎な生の現場に入り込むという事態は、空前のことではないでしょうか。近くにはSARS危機や1998年の洪水のときにも、さらには、1989年の「六四」事件の時にも、このような大量かつ同時的な現場報道はなかったはずです。つまり、少なくとも国交正常化後としては最大で、さらに遡って、今回と同規模以上の経験があるとすれば、侵略戦争時代まで遡ってしまうのではないでしょうか。あらゆる他者のことばを介在することなく、直に現状に触れ、それをオリジナルソースとして報道するという体験の中には、これまでになかった中国理解が生まれてくる契機がきっとあるはずです。既成の知識や先入観にとらわれることなく、今眼前で繰り広げられていることを適確に表現する視点とことばをどうやって鍛え上げていくのか、日本のメディア関係者は今試されているといって過言ではないと思います。

知ることから理解し、感じることへ、その逆に、感じることから理解し、知ることへの移行。民衆分子は「感じる」けれども、必ずしも理解あるいは知るというわけではない。知識人分子は「知る」けれども、必ずしも理解するとは限らないし、とりわけ「感じる」とは限らない……。知識人の誤りは、理解することなしにとりわけ感じたり、情熱的であることなしに、知ることができると信じている点にある……。

アントニオ・グラムシは、「有機的知識人」の条件について、このように語っています(片桐薫編訳『グラムシ・セレクション』、p.175)。日本のジャーナリストたちは中国で暮らす人々の集団の中から有機的に形成されてきたわけではありませんから、この引用をここで持ち出すのは必ずしも適切ではないでしょう。(グラムシは有機的知識人を語る際に、それが有機的に形成されてくる場を階級性として理解していました。)ましてわたしは、「連帯」の可能性に賭けるべきたと考えているわけではもっとありません。ただ、個々の状況に向き合うことを原動力として、そこから普遍を経由し、そしてもう一度、別の個体の生存状況に寄り添い直すという知的営みの力が問われているとするならば、もとの定義を乗り越えつつ、グラムシの省察に共感していくことは可能なのではないでしょうか。

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