Monday, November 24, 2025

「信」を守ることについて

  日中関係がきしんでいます。わたしが残念だと思うのは、その原因を作った高市早苗首相の発言よりもむしろ、それに対して聞こえてくる様々な日本国内の論評の多くが、今回の問題の核心に触れていないことです。

 中国側の論点は煎じ詰めれば非常にシンプルで、首相発言は1972年以降の日中関係を規定する四つの基本文書の精神から逸脱しているので是正すべきだということだけです。中国は両国関係を律するべく歴史的に蓄積されてきた法的根拠に立ち返るべきだという、その限りではきわめて真っ当な要求をしているにすぎません。竹内好がかつて日中国交回復当時に「前事不忘、後事之師」というエッセイのなかでいみじくも指摘しているように、両国が友好の名のもとに国交を回復するための基礎は、日本が過去の侵略戦争に対する反省を行うことにありました。1972年共同声明をベースとして歴代積み重ねられていった四つの基本文書は、いずれもこの立脚点の上に初めて成り立っています。しかし、「反省」という具体的にいかなる行為を示すのかが不明な、道義的な要請をどのように実行していくのかは、結局のところ「(日本)人民の主体的責任」にかかっていると竹内は述べていました。今日、1972年共同声明は、台湾問題に関してあいまいさを敢えて残したことによってその後今日に至る懸案を構成しているという文脈でこそ言及されますが、台湾を清朝政府から戦争を通じて奪い取り植民地として支配したという歴史を踏まえれば、そうしたあいまいさを残すこともまた、日本の「反省」を示す一つの実例であったと言うべきです。それはあるべき「反省」としては何とも消極的なものではありましたが、台湾問題が解決されていない現状に注意深く配慮した、日中合作の智慧の結晶であったと言うべきものです。つまり、中国はこの点で日本に譲歩しているのです。なぜか?恩讐の彼方に日本との友好的な両国関係を構築するためにほかなりません。

 仮に日本が国際的な安全保障環境の変化を理由に外交・安保戦略を変更するのだとしても、それが日中関係を貫く4文書、そして、その基底をなす「反省」をゆるがせにするものであるならば、それは両国間の条約が体現する精神に対する背離であり、友好国である中国に対する背信行為です。日本と中国は、日本側の責任ある反省の上で善隣友好関係を発展させていこうと誓い合った関係ですので、その限りにおいて互いに友好国であるはずです。友好の基礎が「信」であることは言うまでもなく、中国は高市政権に対して、もう一度「信」の原則にもどれと要求しているに過ぎません。きわめてシンプルで明確な論理ですし、「諍友」として耳の痛いことを敢えて言ってくれているとも取れます。世界の中心で咲き誇るためにこそ、「信」を大切にせよと。

 問われているのはまさにこの点であるとわたしは思うのです。


2 comments:

石井剛 ISHII Tsuyoshi said...

言ってみれば、1972年の日中共同声明がああいうかたちになったのは、中国側からの赦しがバランスを崩さないでいられるギリギリのラインを示していたということです。声明を締結した日本側当事者はおそらくその感覚を理解していただろうと思います。しかし、このギリギリのラインが危ういことは最初からわかりきっていました。だからこその竹内好の発言です。しかし、日中間の国交が回復し経済往来が豊かになったことで、殖民地化収奪と侵略戦争に対する「人民の主体的責任」は置き去りにされてしまいました。結局、日本は民主主義の名において明治以降の対外拡張的近代化が悪であったと総括することがないまま、今日を迎えてしまいました。このつけが悲惨な代償となって現れることのないようにできるのは、問題の種を播いた張本人以外にありません。高い支持率を誇っているからこそ、毅然とした撤回発言が可能になるとわたしは思います。

石井剛 ISHII Tsuyoshi said...

あり得る反論に、そもそも「信」を守るというのは建前であって、法の運用と解釈はそのような建前に基づいてはいないとする意見がありそうです。中国も(また米国も)力の論理で動いているだけではないかということです。ただし、それでもわたしは日本のような弱小国(資源もなく国土も狭く、世界に影響を与えるような思想もない国)が、力の論理が支配する国際環境で自らの安定を保ちつつ、地域と世界の平和に貢献するためには、自らを信義が機能する場所としてプロモートすることが戦略的にも有益であると思います。
まして、強大な力を背景に世界的なヘゲモニーを掌握しようとしてきた米国のような大国は、力だけではなく、人類の普遍的な価値の体現者としても世界の人々を引きつけてきたのであり、世界が力だけで動いているのでないのもまた現実であることは、言うまでもありません。