Saturday, January 10, 2026

21世紀の「近代の超克」

 東アジアではこの百数十年、以前にはなかった大きな変化が生じています。それは日本が中国にとっての脅威になるという事態です。漢代の匈奴、宋代の遼や金、明代の蒙古など陸続きの異民族が中原を脅かすことは歴史上繰り返されてきましたが、海を隔てた日本が本格的に中国を脅かすようになったのは、この地域の歴史上はじめてのことでした。

 つまり、中国の側、いや東アジア全体から見れば、日本こそが新たな脅威なのであってその逆ではありません。

 日本のいち早い近代化と見なされる現象は、中国を中心としていた東アジアの地域秩序を変更することとセットになってもたらされたものです。そのことへの反省は第二次世界大戦の敗戦後も日本では乏しいままです。

 近代に入り、中国の分厚い文明の蓄積は西洋勢力の到来によって威厳を失った感があります。しかし、いまでは西洋の近代的発展を支えてきた諸原理にも限界が見え始め、一方、中国の分厚い文明に新たな世界的価値が潜在的に眠っていることにも、世界の少なからぬ哲学者たちが薄々気づき始めています。いや、中国は西洋との邂逅を経て、これまでとはまったく異なる新たな文明を切り拓こうとしています。中華民国がアジア最初の共和国となったのも、中華人民共和国が社会主義革命の産物であったこともそうです。その延長にいまの中国があり、そこではかつての分厚い文明の伝統が今日的な再解釈を得てよみがえりつつあります。

 夜郎自大な日本が新しい中国の未来の可能性に気づくことなく、相変わらず中国に脅威を与えつづけるなら、最終的に痛い目を見るのはおそらく日本の方だと思います。

 日本は100年前から80年前までの間に、国際情勢を冷静に見極めることを自ら放棄して、きわめて稚拙で非合理な戦争に乗り出し、その結果、敗れるべくして敗れています。それは単に力がなかったから敗れたのではなく、智慧が足りなかったからですし、もっと言えば、文明に対する理解の底が浅すぎたからでした。

 残念ながら、日本の近代大学は脱亜入欧型の知識生産ばかりを進め、今日、高いレベルで中国と東アジアの文明とその知を教え学ぶ場がきわめて限られてしまっています。日本のアカデミアは、近代的な国際秩序をモデルとする国際関係論とは異なる視点から、この地域の秩序原理とそれが持つ新たな可能性について知的な想像をめぐらせるための基礎訓練を欠いてしまっています。ついでに言えば、欧米の最新の学問的知見に触れ得る学術エリートの質も量も、圧倒的に中国の方が日本よりも優れているのが現実です。

 日本は中国と共に東アジアの知的遺産を自国の文化を養う栄養として大切にしてきた歴史を持っています。東アジアの文化圏を共に構成しながらも、中原王朝の朝貢国となった時間はごく短く、中国と友としての関係を築くことのできる国力を保ってきました。日本と中国が手を取り合うことによってこそ、この地域は平和な繁栄を享受できるでしょうし、それが世界全体にとっても有益であることはまちがいありません。

 そういう道を描くことこそが、西洋近代の啓蒙運動の中から生まれてきた世界平和の理想をうちに含んだ平和憲法を幸運にも人類を代表して戴くことができた日本が、世界に対して示すべき理想ではないでしょうか。

 「近代の超克」とは、力で主権を争うのとはまったく異なる共生の原理を見出す知的努力に対してこそ与えられる名であると思います。

No comments: