Monday, December 12, 2011

自由主义·基督教·儒家宪政

香港の隔月刊『二十一世紀』2011年8月号には、姚中秋《中國自由主義二十年的頹勢》(中国のリベラリズム20年間の衰退)という文章が掲載されています。1989年の天安門事件後の中国大陸におけるリベラリズム思潮の歴史をトレースしながら、リベラリズムの退潮をばん回するための方策を提示しようとする文章です。

姚氏によれば、経済的リベラリズムの思想によって推進されてきた1980年代の経済発展は1990年代の国有企業改革へとつながっていきました。しかし、国有企業改革のプロセスで生じた所有権の不正譲渡の深刻化が明るみになるにつれて、2003年ごろから経済的リベラリズムは退行していきます。2003年の「孫志剛事件」に見られるように、このころから民間の権利アピール運動(维权运动)が盛んになっていきますが、リベラリズム思想もこうした動きを支持しつつ、グローバル資本主義の浸透とそれに適応するために国家主導で進められてきた経済体制改革の結果生じた深刻な市民に対する権利侵害を告発する方向へとシフトしていったと彼は言います。
ここで面白いと思われるのは、そうした動きの中で、リベラリストのなかにキリスト教に帰依する者が増えてきたという指摘です。

リベラリストたちは、激しく儒家に反対する態度とは対照的に、キリスト教に対しては終始それほど絶対的な態度を採らない。最も面白いのは、2003年から、リベラリズムに期待する人々がキリスト教に帰依していることだ。もちろんそれは、公式には認められていない家庭教会での信仰である。
このような帰依は、もちろん、生の意味に対する個の探求に基づくものだが、理知的に帰依を求めていく者も多い。近代的な自由憲政制度が形成された欧米では、キリスト教、とりわけプロテスタンティズムが主な宗教信仰であり、彼らはそのような歴史的分析に基づいて、近代的自由憲政制度とキリスト教徒の間には直接的な関係があると、知的なレベルで信じているのである。

中国では宗教活動は許認可制であり、ここでいわゆる「家庭教会」というのは、公式な認可を経ていない言わば地下信仰に属するので、自然取り締まりの対象になります。こうして、リベラリズムの思潮は一部、潜行しつつ政府への対抗アクターへと変わっていったと姚氏は分析しています。
なぜこの部分が面白いかと言うと、姚氏自身は、文章の冒頭で明記している通り、もともとは近代的リベラリズムを信奉する立場でありながら、今日では、「儒家憲政」を主張する代表的な大陸新儒家の論客だからです。彼は、これまで中国のリベラリズムは人権などの普遍的な価値を自らの正統性根拠にしていたが、中国の歴史的・社会的文脈のなかにリベラリズムを理論的に位置づけていくことができなかったと述べ、それが、リベラリズム退行の主要な原因であると主張しています。
この文章を執筆した彼の意図は明らかです。

最も重要なのは、リベラリズムの理論構造を通過して、自由が中国の文明的コンテクストに置き直されること、より明確に言うならば、リベラリズムの理論的思考を通過して、自由が中国文明に内発する中国的自由として表現されることである。中国と自由は相互に別個なものなのではなく、共生一体であり、自由はもはや知識ではなく事実、すなわち倫理的事実もしくは歴史的事実なのだということ、要するに、自由こそは中国の「道」なのである。

ここで言われていることが、中国的価値としての儒家思想から自由という内在的価値を取り出してこようとする試みであることは想像に難くありません。すなわち、自由を普遍的な価値であるとみなしつつ、同時に中国-西洋という二大文明論の枠組みの中で、キリスト教と対置される精神的支柱として儒家を位置づけようとしているのです。
彼の近20年リベラリズム思想史には再考の余地があります。なぜなら、「自由」という概念の実質が明かされないままに、この概念の価値が肯定的にとらえられ、リベラリズム対新左派/国家主義という対立を自明化するという、人口に膾炙した単純な二分論構図のもとでリベラリズムが無前提に論じられているからです。自由/中国/(儒家思想)という三概念(この文章では儒家思想について触れられていませんので、括弧に入れておきます)の連結は決して必当然的なものではありませんし、これらひとつひとつが、多層的かつ多義的な意味連関を内包していることに、当然ながら、注意しなければならないでしょう。
姚中秋氏は、秋風というペンネームで近年儒家憲政論の代表的論客として注目されています。『開放時代』2011年第11期には、任锋《期待开放的宪制会话:国族崛起下的儒学与自由主义》という論文が掲載されており、秋風の儒家憲政論に擁護的な立場から、ハイエク的保守主義のリベラリズムと儒家思想の親和性を探っています。昨今の儒家復興ブームの一部として、併せて読まれるべきであるかと思われます。

1 comment:

ラシオン said...

Whitestoneです。御無沙汰しております。
記事をいつも拝見しております。私も雑誌を読んで、意見を書き込みたいと思います。

また、ツイッターで新聞もどきをやっております。自動生成なので、役に立たない情報も多いですが、利用できるところは利用してみて下さい。これにて失礼します。
http://paper.li/bsjr0912/1316710642?utm_source=subscription&utm_medium=email&utm_campaign=paper_sub