Friday, January 13, 2012

中国知识界的乌托邦时代和西学的普遍性

ニューヨーク大学の張旭東(Xudong Zhang)へのインタヴュー記事( http://www.guancha.cn/html/49646/2011/10/10/59576.shtml )は、彼がこれまでの経歴を語ったものですが、1980年代に大学生活を送り、今日の中国語知識界で活躍する人文知識人たちをとりまいていた空気を理解するのにたいへん有益です。


1980年代は知識人のユートピア時代でした。知識界の優秀な人たちは、体制に入るとか、学歴を高めるとかいったことを誰も気にしていませんでした。自分の学問が認められればそれで十分だと思っていました。80年代末にこのユートピアは崩壊しました。当時、国内の雰囲気は抑圧的で不透明だったので、わたしは外に出て西洋に学ぼうと決意しました。1年考えて、最終的にはアメリカのデューク大学に行って、フレデリック・ジェイムソンのもとで学ぶことになりました。


そのころわたしたちは、総体的な視野から西学に向かっていきました。よほど特別な事情がない限り、アメリカへ行って東アジアコースやシノロジー専攻を選ぶことはありませんでした。つまり、名門に行くという目的でもない限り。ハーヴァードに行けるとなったら、どうします?当時は、名門に行くためにシノロジーを目指すのは志がないと見られていましたし、その後にも実際あまり成功していないようです。


ジェイムソンはわたしが西学を研究するのを望んでいましたが、わたしの関心は中国から離れたことがありません。(中略)甘陽が言っているのですが、1980年代の西学は中国問題の一部でした。(中略)当時わたしは「1980年代の中国における西学関連の議論は中国の文化意識の一部である」という甘陽のことばはすごいと思っていました。そこには、中国問題の総体性から西洋を見、西洋問題の総体性から中国を見る」という良性の循環があるのです。


1980年代の啓蒙は朦朧とした総体的な啓蒙で、すぐれた知識人はみな、総体的な角度から問題を考えていました。あのころは、とても精密に読書をしていました。本が少なかったですから。自転車で町の端から端まで行って一冊借りてくるなんてこともありました。本が少ないというのはいい面もあって、手に入ったものはみな古典的なものばかりでしたね。(中略)そういう雰囲気でしたから、西洋マルクス主義に行く人がいたり、ハイエクに行く人がいたりというのは、全然おかしなことではなかったのです。

原文を掲載する「观察者」は、最近できたサイトのようですが、コンテンツが異様に充実しています。中国語思想圏のいまを理解する必読ツールと言っても過言ではなさそうです。

No comments: