Monday, October 4, 2010

“认识经典”专题讲座

冬学期前期課程で「classic生成の「場」を問う-東アジアのclassicと現代」と冠するテーマ講義をコーディネートすることになりました。概要は次の通りです。


【授業の目標・概要】 日本語で一般に「古典」と訳される「classic」とは何だろうか。中国近代において古典的知性を極めた学者の一人、王国維は、「古雅なるもの」の美しさには自然美と異なる芸術美があると論じた。しかし、字義通りに解釈すれば、classicであることと古典的であることとがつねに同じである必然性はない。最も卓越したものに対して冠せられる名辞がclassicであり、しかもそれが時の彫琢を経たときに、はじめて「古典」として独立した価値を持つようになる。また一方で、創造された当初は必ずしも審美的価値が認められていなかったものも時を経ることで「古雅」なる美を獲得することができる。王国維が述べたのはむしろこちらのほうだった。しかし、そうだとしても、「古典」に価値を見出すのは、それがただ過去から受け継がれてきたからと言うだけではないはずである。 
 19世紀以降の日本では、知の経典(classic)体系そのものの転換と知の近代化とが一体となって進んだ。中国語で記された儒学経典を知の典拠とするのではなく、ギリシャ・ローマの知的伝統へと連なることは、日本の知的ディスコースにおけるモダニゼーションと同一のプロセスだったのである。つまり、古典とは、近代性の対極にあるものの謂いなのではなく、それ自体が近代を構成し補完しているのではないだろうか。古いものはそれだけで雅なのではない。なにがしかの古い知的生産物を雅であると認定するのは現代的関心によるのである。王国維も述べる、「わたしたちが古雅だと判断するのは、実はわたしたちが今日的なところから判断している」のだと。 
 そこで、このテーマ講義では東アジアを舞台として、この地域でclassicがどのようなものとしてとらえられてきたのか、classicはどのような文脈のなかで生産されてくるのかを考える。言わば、classicに触れ、学ぶ、理解するだけではなく、classicが生産される条件と「場」についてより関心を持つことで、わたしたちの生活におけるclassicの意味をさぐっていきたい。
【授業計画】 諸地域・分野を専門とする講師によるオムニバス形式で行う。対象となる地域は東アジアの中国、韓国、ヴェトナム、そして日本。そのそれぞれについてレクチャーとセミナーを1回ずつ設ける。また、地域横断的な視座からのclassic論をセミナー形式で考察する。
授業の初回はガイダンスを行うほか、最終回には総括的なディスカッションを行う予定。

【授業の方法】 この授業は主に二つの形式によって進められる。
(1)毎回異なった講師によって行われるオムニバス・セミナー
講師があらかじめ指定したテクストを題材として行われる演習形式の授業。参加学生は、指定テクストを事前に読んでおき、授業の場で報告を行う。内容は、(a)東アジア4カ国それぞれの地域性を軸に据えたものと、(b)地域性に限定されず、ディシプリン中心に行うものの2種のアプローチによる。
(2)BESETOHA四大学フォーラム(北京大学、ソウル国立大学、ヴェトナム国家大学ハノイ校、東京大学)のフレームワークによるゲスト・レクチャー
上記3大学からゲスト・スピーカーを招き、中国、韓国、ヴェトナムのclassicの現在について講義をしてもらう。(通訳つき)



BESETOHA各大学からのゲスト講師
北京大学:王守常氏
ソウル大学校:趙寛子氏
ベトナム国家大学ハノイ校:Pham Van Khoai氏
東京大学:品田悦一氏、筒井賢治氏、三ツ井崇氏


10月15日に開講、毎週金曜日5限に駒場120教室にて行われます。
詳細情報は、EALAI(東京大学東アジア・リベラルアーツ・イニシアティヴ)へ。

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