Saturday, February 2, 2008

儒学第三期的三十年

ハーヴァード大学付属の燕京学社(Harvard-Yenching Institute)が主催して、北京大学で2007年10月29日に行なわれたという標題のシンポジウムの発言録が、『開放時代』2008年第1期に掲載されています。実はこれダイジェスト版で、完全版は紙媒体でなくウェブ上にあるようです。後者のほうをわたしはほとんどまともに読んでいませんが、なかなか熱い議論が交わされているようです。参加者は燕京学社から黄万盛氏が来ているほか、李沢厚氏や朱維錚氏のような1980年代知識界の牽引者の名前があるところが非常に注目されます。ほかにも陳来氏(北京大学)、陳少明氏(中山大学)、趙汀陽氏(中国社会科学院)、江宜樺氏(台湾大学)、陳祖為氏(香港大学)などのビッグネームが名を連ねています。NIEs勃興以来、現代新儒学を運動としてリードしてきた杜維明氏が間もなくハーヴァードを定年退職し北京大学で「高等人文学センター」を立ち上げる計画を持っているそうで、この会議もそういう動きにリンクしているのでしょう。
実際、発言の内容も面白いものばかりでした。その中からごく一部を訳しておきます。

陳来:儒学第三期ということについてですが、杜維明氏には二通りの言い方があります。一つは牟宗三に沿った言い方で、先秦、宋明から現代という言い方、もう一つは中国から、ひがしアジア、そして世界へという言い方です。しかし「新儒学」という概念について、「新儒学」とか「新儒家」という場合には、杜氏はやはり熊十力や牟宗三の系統の中で論じており、その範囲内での概念です。したがって杜氏の新儒学概念、新儒家概念は儒学第三期という概念ほど広いものではありません。たぶんこれはわりと重要な問題だと思うのです。例えば、李沢厚氏は荀子とかマルクスについても論じていますけれど、そのように新儒学、新儒家という概念そのものは非常に豊かなものなのです。したがって、香港や台湾の側から中国儒学全体の今日と未来の発展を展望するということから脱することができれば、それはきっと非常に豊かであると思うのです。
朱維錚:いわゆる儒学第三期とかいうことについてですが、わたしは根本的に、清代末期以来儒学はすっかりなくなってしまっていると思っています。(中略)最近、上海で講演を行った時にわたしはこう尋ねました。「あなたが述べる国学というのはどの国のことですか?」なぜなら、歴史的には1912年に中華民国が成立して以来、初めて中国と言えるようになったからです。今日、「宋学」のことを言う人がいますが、そういう人にわたしがいつも聞くのは、北宋は中国の領域の四分の一の土地しか支配していなかったということを知らないのか、南宋は中国の領域の五分の一の土地しか支配していなかったということを知らないのかということです。それならそれらの領域以外のところは中国ではないというのでしょうか?もし国学ということを特に強調するのなら、国学は漢人の学問ということになりますし、儒学、しかも宋代以降のものということに過ぎません。そうであれば、そのような主張は陳水扁の「脱中国化」と同じではないでしょうか。
李沢厚:中国ではなぜキリスト教、ユダヤ教、イスラム教のような宗教が生まれなかったのか?これは大きな問題です。アメリカで授業をしているときにあるアメリカ人学生がこう聞いてきました。「あなた方中国人には神がいないのに、どうしてこれほど長く生存してくることができたのですか?」これはいい質問でした。もうあれから十数年たっていますが、かたときも忘れたことがありません。中国はなぜずっと多神的なのでしょうか。中国の礼教が代わりにあったからだと私は思うのです。だから礼教というのはたいしたものです。それは世俗生活の規範なのです。それにはその神聖さというものがあります。その神聖さはどこから来るのでしょうか。だから、中国で孔教をやるというのは儒家の精神に反するのです。儒家の精神は祖先や天地を拝することで、どの宗教を信じたっていいのです。これが儒家のすごいところです。キリスト教を信じてもいいし、仏教を信じたっていい。これは考えるに値する問題です。「儒学第三期」は一つの学派として、宗教性の問題についてさらに探求を深めていっていいと思いますが、「儒教」になってはいけません。
趙汀陽:儒学にとって最大の挑戦は、それが「見知らぬ人」を解釈することができないという問題です。儒学は家族や友人を解釈できますが、「見知らぬ人」を解釈できません。「見知らぬ人」を解釈できないというのは完全な失敗です。なぜならわたしたちのあらゆる倫理原則、社会原則は、いずれも他者の問題を扱おうとしているからです。自分と争ったって何の意味もありません。あらゆる問題は他者の存在があり、他者が面倒をもたらすか、自分が他者に面倒をもたらしているのです。問題を処理するということはすべていかに他者に向き合うかということで、いかに他者を明らかにするかということです。「見知らぬ人」こそは本当の他者であり最大多数の他者なのです。どういうふうに自分の家族を処遇するかを論じても無意味なのです。それでは社会的問題は解決できませんから。しかし儒学はこの点が弱い。儒学はどうやって「見知らぬ人」と付き合うかについてはっきりと述べたことがありません。
黄万盛:韓国のある学者、咸在鶴といいますが、彼はハーバードロースクールのドクターですが、「中国的憲法としての礼」という博士論文を書きました。彼はritualという言葉を使っていません。「礼」を翻訳する場合、ふつうはritualと訳しますが、ritualは礼儀の礼で、品格とか教養といった問題になります。こういう角度から中国の礼制を理解しようとするのは限界があります。中国の礼制は政治制度の基本的な枠組みとして理解できます。彼はこの点から、「礼」をChinese consititutionと呼んでいます。根本的な法、憲法、という意味から「礼」を再解釈しようというのです。

「儒学」とか「儒家」という言い方が自覚的に使われるようになったことこそは、ポスト儒学時代の特徴ではないでしょうか。経学の時代が近代になって崩れてしまってから以降は、既に儒学がなくなってしまっているという朱維錚氏の主張は正しいと思います。第三期説というのは牟宗三が提唱した、いわば、宋明理学に続く現代新儒家の誕生宣言であろうと思われます。このシンポジウムでは、杜維明が提唱したことになっていますが、たぶん牟宗三のほうが少し早いのではないでしょうか。李沢厚はこれに反対して、儒学第4期説を称えています。両者の違いは、上の引用にも現われているように、牟宗三/杜維明が心性の学を中心にした、李沢厚の言葉を使えば宗教的な側面を強調しているのに対し、李沢厚は、漢代の董仲舒を中心にした、陰陽思想と天人相関思想を第2期とし、荀子の再評価やマルクス主義の遺産なども取り入れつつ、新たな第4期が展開されるべきだとするものです。そうすると、牟宗三/杜維明の第3期は、李沢厚においては、第4期の中に吸収されてしまうものであるということになります。
いずれにしても、これらの中で言われている「儒学」とはいったい何者なのか、そして、なぜ「儒学」でなければならないのか、という疑問は常についてまわらざるを得ません。
なお、議論の中でしばしば、蒋慶という名前が(主に批判の対象として)挙げられていました。その著作、『政治儒学』(三聯書店、2003年)という著作が物議をかもしているようです。そのうち読んでみましょうか。

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