Friday, August 24, 2007

余华《兄弟》

余華の『兄弟』を読みました。内容については、日本語であらすじを紹介しているブログがありましたので、リンクしておきます(「中国最新作品あれこれ」)。
余華氏自身のこの作品をめぐる発言を二つ紹介します。一つは、『南方周末』2005年9月8日版(電子版)に掲載されたインタヴュー《我能够对现实发言了》です。

記者:以前の作品では時代背景があまりはっきりとしていませんでしたし、今日の生活についてもほとんど書かれていませんでした。しかしこのたびの『兄弟』では、文革時代から現在までをお書きになって、時代的特徴がきわめて濃いようですが。
余華:わたしは以前は意図的に時代背景をぼかすことがよくありました。わたしの作品中の人物は時代性の影響をあまり受けることがないと思っていたからです。『兄弟』では、初めて小説を通じて文革に向き合いました。わたしは文革時代に生まれ育ちました。まだ大人ではありませんでしたけれども、あの時代がわたしの幼少時代から少年のころまでの暮らしに非常に深く刻まれており、ずっと忘れることができません。文化大革命という人類史上にのこる大事件については、これまでも、今も、そして将来も書き手がいるでしょう。わたしが書くとしたら、他の人たちとの違いをどうやって確保できるでしょうか。これまでのわたしはこの時代の歴史に入っていくためにいちばんいい切り口を見つけられませんでした。わたしたち作家がなぜ昔の時代を書きたがるのかといえば、時代が遠ざかるほどに伝奇的な素材を見つけやすくなり、小説の中で空想たっぷりに歴史に対してフィクションや想像を構成できるからです。ところが同時代はというと、現実の世界はめまぐるしく変化し、その上、インターネットのようなバーチャルな世界さえも出現しています。だから、現実の生活について書く作家はたくさんいますけれども、そうした作品の中には真実の生活は存在せず、読者はつねにそれが虚構の、信じがたいものだと感じてしまうのです。『兄弟』の下巻を書き始めて、わたしは現下の現実生活を把握できると突然感じるようになりました。わたしは、中国の現実に対して発言ができると思いました。これはわたしにとっては質的な飛躍なのです。今日の中国では、一人ひとりの運命はあまりにも不確実で、現実と伝奇性が二つにして一つとなっているということにわたしは気づきました。だから、真実の現在を書きさえすれば、時代の変化に耐えうる伝奇性を表現できるのです。

もう一つは、ドイツの『フランクフルター・アルゲマネ・ツァイトゥング』に掲載された(2006年4月21日)インタヴューの中国語版《巨大欲望的时代》です。これは、余華氏本人のブログに掲載されています。

マック・シモン:余華さん、あなたの新しい小説の中では、文化大革命と現代とがつながっています。この両者はどのような関連があるのでしょう。
余華:この二つは実際には一枚のコインの両面です。今日の社会に見られるたくさんの極端な現象は、文化大革命時代の極端な現象の反動としてあらわれてきたものです。実際、わたし自身も長い時間をかけてやっとこのことに思いあたりました。以前から、わたしは今日の時代に関することについて書きたいとずっと思っていたのですが、どのように書いたらいいのかわかりませんでした。その後わたしは、今日の中国と文革時代の中国とを結びつけて見なければならないということに気づきました。なぜなら、この二つの時代はそもそも密接に関連しあっているからです。この点に気づいてから、二年足らずでこの小説を書き上げました。文革時代の抑圧がなければ、中国で今日見られるさまざまな放縦もあり得ないでしょう。放縦が抑圧の中から解き放たれたとき、それは爆発的に吹き出てくるでしょう。現在の中国の発展はまったく反対の方向へと向かっています。ある種の行為がかつてとてもはっきりしていたとすれば、今日ではそれがちょうど逆転しているのです。恐怖ということについて言えば、文革のころには人々はとてもおそれていました。文を一つでも書き間違えることは許されなかったのです。わたしが小学一年生のころ、同級生があるとき「太陽が山に沈んだ」といいました。ところがこのことばは反革命です。当時太陽は毛のシンボルだったのですから。今日の社会で、もっとも典型的な特徴は倫理の喪失です。人々はどんなことでもやるようになりました。何年も前ですが、中学の同窓会の席上で、突然けんかが始まりました。その時わたしは社会格差ということに気づきました。社会から排除されてしまった人もいる一方で、その反対に官僚になり、お金を儲けた人もいるのです。
(中略)
マック・シモン:人々はこうした大きな変化にどうやって適応しているのでしょう。
余華:こうした変化を消化できない人もいます。そういう人は自殺してしまいます。中学の同級生にはそういう人がいました。しかし大多数の人たちはどういうかたちであれ適応しています。今日起こっていることにすべては、さまざまな欲望が大きく膨張し、はげしく強調されているということです。それはセックスに限ったことではありません。例えば、ある大型鉄工所では、生産量が一年の間に倍増しました。それは奇妙なことです。この工場の規模は変わっていないのですから。ではなぜ生産量が突然倍増したのか。社会学者の調査でわかったのは、工場の周りにたくさんの簡易高炉が設けられて、地元の農民が自ら熱した液状鋼を工場にとどけ、工場ではそれを炉に入れて続けて加熱し、それによって生産にかかる時間を短縮していたのです。その結果、周囲の木々はすべて高熱に焼かれて枯れてしまいました。このような現象を支配しているのは、すべてのルールを破り、絶え間なく求め続けていこうとする巨大な欲望です。文革のときからわたしたちは、このような奇怪な世界の中で暮らしているのです。
マック・シモン:この巨大な欲望はどのように現れてきているのですか。

余華:住宅を例に挙げると、家を買うのに一億元以上出せる人もいれば、そうでない人、つまり貧しい家庭では、子どもがお父さんにバナナをねだっても、そのお父さんは買うお金がないのです。彼は自分にはバナナを買うお金がもはやないということに思い至り、窓から飛び降りてしまいました。その奥さんは、庭におりて、夫が息絶えているのを見ると、もう一度部屋に戻って、何も言わずに首をつってしまいました。豊かさの話にしろ、貧しさの話にしろ、似たような物語は、今日の中国では毎日のように発生しています。

これでもかこれでもかというほど、読者を食傷気味にするような调侃(戯れ言)の連続にもかかわらず、いたたまれないような沈痛を読後に残す小説です。その沈痛感はカーニバルのような軽佻浮薄さが、死者の後で、死者に対する絶対的な忘却の上で、麻薬のように延々と続いていくことを作品が鋭く見据えているからでしょう。宋鋼の死は、宇宙へと触手を広げようとする李光頭のグロテスクなほどの欲望の中でしか意味を与えられなくなってしまっています。そこでは、宋鋼の死が何を意味していたのかはまったく顧みられることはないのです。
そして、だいじなことは、余華氏がいみじくも述べているように、このような状況は、実は文革の時からすでに始まっていたのではないかということではないでしょうか。宋凡平と李蘭の死は、実はカーニバルがその時にすでに始まっていたことを象徴しているのではないでしょうか。
死んでしまったのは死者だけではないでしょう。林紅は宋鋼の死後、風俗経営者として性的享楽の主宰者となります。セックス産業における性的愉悦は生むことを禁忌として成立する反生生的享楽にほかなりません。欲望の野放図な解放の中でカーニバルのような享楽と喧噪に身を任せる李光頭は、もとより、自ら生むことの権利を放棄することによって、尽きることのない悦楽を手にしたのでした。林紅もまた、宋鋼亡き後、新たな生命を生むことはもはやあり得ないでしょう。劉鎮全体が、生むことを自己放棄することによって祭りの中に耽溺しているかのようです。そのような中で、唯一生まれた生命は、江湖骗子(浮き世の詐欺師)周游と、時代の生き証人であり、あまたの傍観者の中で最も善良だった蘇媽の娘、蘇妹との間に生まれた蘇周でした。蘇周は「全国処美人コンテスト」の狂騒の中で、生むことを前提としない性的悦楽のうちに身ごもった、新しい生命でした。しかし、この新しい生命の誕生を知った周游は、全国を周遊して偽物を売りさばく生活に終止符を打ち、「周不游」という名前で生まれ変わることになります。蘇周じしんは、この際限がないかに見える享楽的現代が産み落とした子供に間違いありません。しかし、英雄亡き後にそれでもまだ何らかの希望を持ち続けるとするならば、その希望は英雄の復活ではなく、あまたの傍観者の中でつねに最悪の人間性を回避し続けようとしていた「ふつうの人」、蘇媽と、「全国処美人コンテスト」のはちゃめちゃの中で唯一の処女であった蘇妹の血を引く、蘇周にこそゆだねられるべきなのかもしれません。

余華氏は1960年生まれの現代中国を代表する小説家。《活着》(『活きる』)は、張芸謀が映画化して有名になりました。もっとも映画のほうは、主題がすっかり変わってしまったと言えるほど、原作から逸脱していましたが。

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