Wednesday, April 4, 2007

社会分化的源头何在?

だいたいネーミングや宣伝文句からして、ある種の先入観を持たせるよう誘導している感じがありますのでふだんはあまりこの手のものは見ないようにしていますが、4月1日と4月3日にNHK総合テレビで放送された「NHKスペシャル 激流中国 富人と農民工」は、心に迫るものがありました。天津を舞台にして、「先富論」の恩恵を体いっぱいに浴びて大もうけしているいわゆる「新富人」と、彼らの足もとで厳しい出稼ぎ労働を強いられている「農民工」との対比のしかたがあまりにも鮮明に過ぎたからです。カメラは中国の市場改革によってもたらされた深刻な社会格差の現状をよくとらえていると思われます。(ついでながら、「格差」という言い方は90年代以降の公共言説がまともに向き合おうとしてこなかったある種の認識のフレームワークを覆い隠してしまう便宜的用語ではないかと思われます。もちろん、中国についてもまったくその通り、というよりも中国ではより深刻なのですが。例えば、戴錦華氏の《在”苦涩柔情”的背后》,《读书》2000年第9期、はそのあたりの事情を早い時期にうまく表現した好例でしょう。)
ただ、この辺がテレビというメディアの限界なのでしょうか、なぜこのような現状が生まれたのかという背景的説明がまったくと言っていいほどなかったのが残念です。例えば、広告会社社長をしているという若い「新貴族」が、天津市の高級幹部子弟だったということが触れられています。高級幹部子弟であれば、さまざまな特権がついてくるのだろうというのはもちろん誰にでもわかることなので、敢えて詳しく述べるまでもないということなのでしょうが、そのあたりのからくりについては、単によく言われる「一党独裁」云々という常套句で終わらせるべきではなく、より複雑な政治過程論として分析した方がいいと思われます。同じことは、北京で株式投資コンサルタントとして大成功を収めている元知識青年の例についても当てはまるでしょう。「健康食品会社」が株式公開をするということが何を示しているのかということ、それは単に中国における株式バブルというだけの問題ではないはずなのです。日本でも郎咸平氏の「国退民進」論については、一部経済アナリストによって紹介されているようです。国有企業改革の過程で生じているさまざまな現象に対する視点がなくして、「共産党が私営企業経営者を党員に迎えるようになった」という類の話題をニュースとして取り上げることにはあまり大きな意味がないように思えます。
さて、わたしがもっと気になったのは、「農民工」として取り上げられていた内蒙古自治区の2家族のことです。彼らのなまりからしてたぶん赤峰の人たちだろうと思いますが、彼らについても、ただ「底層」で苦しむ「農民工」ということばで表象するだけでは、もちろん不十分です。例えば、高校に通う娘の学費がなぜあんなに高いのか(つまり、彼女は「自費生」の類なのではないか)とか、医療費の自己負担はなぜ8割なのか(ここで問題にしているのは、8割が高いというのではなく、残りの2割を誰が負担しているのかということです)といったことは謎です。わたしがしばらく住んでいたのは同じ内蒙古自治区でも西部地区だったので、東北地区の農村とはかなり事情も異なっていると思いますが、カメラが映し出した彼らの居住環境は、少なくとも最悪のものではありませんでした。少なくとも、わたしが90年代半ばのころにしばしば泊めてもらった農家に比べるとずいぶん立派でした(特に女性の実家)。固定された現金収入とそれなりの社会福祉が受けられる時代がかつて彼らには存在していたのではないかということが想像されるのです。
私がいいたいのは、彼らが本当の「底層」ではないということでは決してありません。わたしが連想したのは、90年代後半から始まった国家機構のスリム化政策の結果、大量の失業者があふれたはずの基層レヴェルの集落(郷、鎮、村、つまり「公社」「大队」)の人々の社会関係、経済関係はその後どうなってしまったのだろうか、ということです。例えば、基層幹部として定年退職を迎えた人の子弟は今働き盛りのはずですが、彼らはどのようにして生計を維持しているのか、もしかすると、「農民工」という呼び名で一括されている流動人口層の中には、このような人々が大量に含まれているのではないか、という疑問です。つまり、社会主義体制の全体的な縮小、もっといえば内部的解体の流れの中で従来の社会関係から離脱されることを余儀なくされた人たち(ここでイメージしているのは基層幹部とその家族です)の社会生活・経済生活は、都市のレイオフ(下岗)人員とも、戸籍上の農民とも異なった状態として認識される必要があるのではないか、という疑問なのです。
これらはあくまでも根拠のない疑問ですから、予断は許されません。ただ、いわゆる「城郷分化」という二分論ばかりに目を向けていると、都市と農村の狭間で市場化と非国有化に翻弄されている人々の社会状況についての視線が忘れられてしまうのではないでしょうか。このあたり、以前書いたことにも関連していますので、未熟なかたちを承知の上で提示しておきたいと思います。

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