Wednesday, August 24, 2011

大警告、小人物

『読書』2011年第8期に初嘉仁《大警告,小人物及其他-读核笔记》という文章が掲載されています。日本在住者の原発震災関連読書ノートです。
言及されているのは、『原発事故…その時、あなたは』(風媒社、1995年)『日本を滅ぼす原発大災害』(風媒社、2007年)『改訂版 これから起こる原発事故』(別冊宝島、2007年)『チェルノブイリ旅日記』(風媒社、1992年)『大地動乱の時代-地震学者の警告』(岩波新書、1994年)『原発事故はなぜくりかえすのか』(岩波新書、2000年)、『脱原発しかない』(第三書館、1988年。リンク先は3・11後の新版)など。参照される書籍は、日本における原発の潜在的危険性がいかに巨大なものかを訴えてきたものばかりで、いずれも3・11よりも前に出版されています。これらの書籍が予見してきたことの多くが現実になってしまったというのは不幸と言うには大きすぎる代価と言わなければなりません。高木仁三郎や、『原発事故』の瀬尾健のような、道半ばにして鬼籍に入ってしまった学者たちが今日の惨状を目の当たりにすればどれほどショックを受けることでしょうか。初嘉仁氏の言う「大警告」というのは、原発の危険性を訴える著作群の見識と予測の高さを形容することばです。
初嘉仁氏の文章の中心は、しかし、そこではなく、「大警告」を発した作者たちがいずれも「小人物」であったという点にあります。小出裕章さんや在野の「市民科学者」高木仁三郎についてはすでに言うに及ばず、スリーマイル島やチェルノブイリ事故の調査にも関わった瀬尾健は、小出氏の同僚でやはり、当時助手だったそうです。また、「原発震災」ということばの創始者で浜岡原発の危険性を早くから指摘していた石橋克彦氏や、放射線防護の専門家安斎育郎氏も、助手を務めた長い期間に「大警告」を発していたと著者は言います。
さらに重要だと著者が指摘しているのは、彼らが「小人物」であったとしても、アマチュアではなく、その反対に高度な専門的学術訓練を経た職業科学者だということです。このように規定することで、原子力問題は「科学者コミュニティ」における政治の問題へと高度化されます。著者のことばを2箇所引用しておきましょう。

政府の「原発国策」に反対していると思われていたというだけで、瀬尾と小出は万年助手となった。だが、彼らは自分たちが研究した結論を変えることなく、助手から講師、助教授、教授へという出世街道をきっぱりと放棄し、助手に一生甘んじて、ポストや社会的地位、さまざまな物質的待遇を犠牲にしたのだ。わたしは以前彼らが助手であることを不公平だと思っていた。だが、小出と同期だという同僚の話によると、実は、京大には人材を大事にする伝統があるので、助手というかたちで実際には彼らを守ったのだ、それが最大限の措置で、もしほかの国立大学だったら、とっくに追い出されていた、ということを知った。なるほど、「体制」の前で個人は永遠に無力だ。だが、科学者の精神はこうして輝き続けているではないか。


原発は安全なのか?原発を採るか、それとも放棄するか?すでに採ってしまったのなら、どうすべきなのか?これらは、技術や政策の問題というよりも、根本的には思想とイデオロギーの問題である。最終的には精神のレヴェルで解決するしかないものだ。そこには三つのもっとも基本的な条件がある。それは、本稿でも示した「知識」、「知ること」(情報の公開性と情報へのアクセス権)、そしてそれに基づく智慧や理念、つまり「知性」である。この三つがなければ、原発は利権者と独裁的強権の選択肢にしかならない。人類は半世紀あまりの間に、原子力発電技術を発明し、発展させ、原発産業を造り出した。そして、原発推進イデオロギーを生み出すと共に、反原発イデオロギーも形成された。少なくとも日本ではそうだ。日本の反原発派には共通点がある。それは、その多くが原子力研究者であり、長きにわたって原子力関連の仕事に携わっているということだ。彼らには専門的知識があるだけではなく、内部事情にも通じ、十分な「知識」と「知ること」の蓄えがある。そして、その上で、「知性」のための空間を創り出している。

「知性」のための空間、それは言うまでもなく、利害を超えて議論がたたかわされる理性的な公共空間にほかなりません。未曾有の、そして出口の見えない大災害の中で、もし状況が好転していく兆しを感じるとすれば、そのような公共的言論の力にたよるしかないと著者は主張しているようです。菅直人首相が浜岡原発を停止し、原発発展の基本計画を「白紙に戻す」宣言をしたことを告げて、この文章は結ばれています。

ちなみに、この文章はネット上でも転載されているようです。興味のある方は探してみてください。

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