Saturday, August 21, 2010

《启蒙时代》

王安憶には『啓蒙時代』という佳作があります(人民文学出版社、2007年)。
彼女の作品の中ではそれほど注目されていないとの評もあるようですが、特有の細やかな筆致で文革時代のティーンエイジャーたちの日常に仮託しながら、知的成長の懊悩や多感さを描き出しており、決して悪くはありません。何と言っても、文化大革命のさなかで学校教育の崩壊にさらされていた中学生たちの日常を「啓蒙」と名づける挑戦性がこの作品の特徴です。
左岸文化は、ドイツ各地の孔子学院で行われた同作品の朗読会において行われた、読者と作者の対話を抄録しています。ドイツの読者からは、いきなり、「啓蒙」という西洋特殊な文化概念をどうやって中国を舞台とする作品に適用できたのか、という厳しい質問が飛んできていて、どきりとさせられます。実際、「啓蒙」をどう理解するかという問題は、張旭東氏らと作者との連続座談会(《对话启蒙时代》、三聯書店、2008年)でも話題になっていますので、こちらもおすすめです。
さて、王安憶はこのやや意地悪な質問に対してたいへん謙虚に答えていますが、その中で、自分が「啓蒙」ということばで表したかったのは、「去蔽」ということだろうと思うと述べているのは、ちょっと驚きでした。もしかすると王安憶氏も戴震を読んだことがあるのかもしれません。このカントと同い年の風変わりな知識人の思想の中に「啓蒙」につながるものを読み取るのは難しくありません。しかし、まさにこの回路を通じることによって、この本質的な質問に対する答えも急に生産的な問いへと変わっていく可能性を秘めていることに関しては、おそらく彼女自身予期してはいないでしょう。

最近、わたしのところに「啓蒙」に関して宿題が舞い込んでいるということもあって、紹介しました。

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