Thursday, May 6, 2010

知识的弱和苦,以及布朗肖

古い文章ですが、张志强《为了中国的未来“充实而光辉”:序贺照田〈当代中国的知识感觉和观念感觉〉》というのをたまたま目にしました。『開放時代』2006年第1号です。賀照田の著作に対する長文の書評は、著者に対する深い理解と共感に支えられた味わい深いものです。評者は著者とともに、知の弱さや脆さそのものを唯一のよりどころとしつつ、同じように弱くて脆い苦悩する他者の生に届きうる知的生産の可能性を思考しようとしています。
彼らがそのための方法として召還してくるのは一種の歴史のナラティヴです。張氏は言います。

史学とは事物や事象に寄り添いながらそれに「形」を賦与していく知だ。それは、客観的かつ冷静に歴史的事物を追っていきながら、歴史の全体に対して意義を賦与することのできない「実証史学」とは異なるし、独断的に原則やドグマによって世界を裁き、目的論だけに頼って意義を見出そうとする「形而上学」とも異なっている。(中略)形而上学や宗教の目から見れば、不安や苦悩とは価値観のゆらぎである。それは価値観をどうやって歴史的コンテクストのなかに落とし込めばいいのかということについての不安でもあるだろうし、歴史は常に価値に導かれることのない盲目で恣意的なものであるという苦悩であるかもしれない。したがって、不安や苦悩は、歴史とニヒリズムとの狭間にある生存状態なのだ。そこでは価値がまだよりどころを得ていないのである。(中略)だが彼らは、「不安や苦悩」が抽象的な価値決定原則と非目的論的な歴史世界との間の裂け目を埋めることが不可能なことから来る不安と苦悩に過ぎないということをおそらくは見落としている。「不安と苦悩」は道徳の脆弱さによって引き起こされるものでもあるだろうし、歴史的コンテクストにおける道徳の脆弱な可能性に対する不安と苦悩でもあるだろう。しかし、注意すべきなのは、道徳の脆弱さに対する不安と苦悩とは、何らかの形をとり、より歴史性を有する「道徳感」によって引き起こされているのではないだろうかということだ。不安と苦悩が他者の不安や苦悩とシンクロするときに、それらはある種の道徳性を獲得する。それは、世界や他者に対するセンシティヴな共鳴であり、それこそは価値観が生まれる源なのだ。
歴史はこのような共鳴のなかで組み立てられるより大きな主体の歴史である。歴史認識のためには、価値観を背負わなければならない。歴史認識によって背負われた価値観は、もちろん、歴史世界の全体を引き受けようとするものだ。なぜなら、それは常に、歴史において、主体感の連帯を通じて、能動的に運命とたたかおうとする努力なのであり、歴史の客観性に対する認識に立ちながら、運命を把握しようとする力なのである。一連のこれまでの勢いを引き継いでいる歴史の瞬間において、歴史の全体に対する客観的な認識と、主体による精神的創造のポテンシャルへの理解とを武器に、開かれた未来をつかみ取ろうとする可能性の契機なのだ。

歴史、史学、主体。そこで生まれてくる共鳴は、同盟や連帯といった力強い響きを持つ政治とは別次元のものでしょう。ここでもう一つ、最近読んで気になっていた小林康夫氏のブランショに関するエッセイがわたしには思い出されます。

忘れてはならないのは、ここでブランショがその後のかれの思考のもっとも強い軸のひとつとなるものを見出すということです。それは友愛です。公共性そのものを拒絶するものには、当然ながら、公共空間においては場がありません。にもかかわらず、その「拒絶の力」は、それそのものとして、ひとを「結びつける」。すなわち、「ノン」は、まさに公共性そのものを限界づけるのであって、その限界において、限界そのものの「共有」ではない、「分有」が起こるのです。それは文学のように想像的ではなく、政治のように現実的ないし象徴的ではなく、しかしそれらのはるか手前、あるいは彼方に、開かれる「何ものにも還元しえない」ような「ともにあること」の可能性なのだと思います。(『歴史のディコンストラクション』、未来社、2010年)

おそらく、小林氏であれば、道徳という観念へのこだわりに対して否定的でしょうし、その「友愛」論は、張=賀両氏よりもより根源的で孤独なものであるかもしれません。しかし、張=賀氏における歴史は、大文字の道徳を拒絶したところにこそ見出されるものにちがいありません。張氏は「仁」(儒学の用語)、「悲」(仏教の用語)という概念によって他者との共在の感覚を表現しています。彼の「道徳」観はここに帰結するにちがいないでしょう。

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