Monday, November 10, 2008

有关中国农业的讨论

『読書』2008年第10期から。周博《人道的栖居》は低収入都市民、とりわけ、民工として都市に流入してきた人々の住宅問題について、人文学的角度からアプローチしています(“栖居”とは「住まうこと」、つまり後期ハイデッガーの「建てる・住まう・思索する」、「詩のごとく人間は住まう」から来ているということです)。民工の住宅問題をどう解決するのか、という問題の中で、これまで焦点になってきた問題の一つが、民工が集中して住んでいる地域のスラム化をいかに防ぐのかということです。周文では、立場の異なる二つの意見に言及しています。一つは、秦暉氏の主張です。彼は現在都市民としての福利を享受することができないでいる民工は、住宅の供給を受ける対象からも除外されており、にもかかわらず、彼らが勝手に簡易的な住居を建てようとすると、政府による取り締まりを受けることになるといい、民工には「自由も福利もない」のだと述べます。そこで、まずは深圳あたりの都市から、福利住宅の供給はできないまでも、民工に自分で家を作らせることを許す、つまりまちの一角にスラムができることを許容すべきではないか、と提案をしています(新聞記事のコピーをリンクしておきました)。一方、賀雪峰氏は、同じ『読書』2008年第10期に《农业的前途与农村的发展》という文章を発表して、「都市への定住に失敗した農民(都市流入農民の大多数を占めるはずだ)がもう一度農村へ帰ることのできるようにし、都市のスラムに残らせるべきではない」と発言しています。周氏は「人道的な住まい方」はいかにして可能かという角度から、賀氏の意見に賛同の意を表しています。賀氏の主張の基本には、農民が耕作する土地に対する権利を持っているかぎり、彼らが生計のために都市に出稼ぎにやってきて、仮に失敗したとしてももう一度帰る場所が保障されることになる、ということがあります。スラム化を許容するということは同時に土地を手放すことが可能になるということで、それでは改革開放から二十年以上の時間をかけてようやく全国的にほぼ解決を見た「温飽(さしあたって必要最低限の衣食住が確保されている状態)」が、再び揺らぎかねないことになると賀氏は言うのです。周氏は、スラム化によって都市内の貧富二極化が構造化されることによって、深刻な不平等を生み、「人道的に住まう」という原則が満たされなくなるという理由から賀氏に賛同しています。
賀氏の文章は、もともと『読書』2006年の第2、3期と第6期に掲載された黄宗氏の2篇の文章、《制度化了的“半工半耕”过密型农业》,中国农业面临的历史性契机》に対する批判的応答の文章です。
それにしても、時事問題に直結するような社会論が『読書』にはずいぶん多くなりました。

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