Thursday, April 26, 2007

法和暴力的记忆

东京大学COE基地国际哲学中心(简称UTCP,即 University of Tokyo Center for Philosophy)2006年初举办过一次国际学术研讨会,我有缘参与了一些有关后台工作。此次会议办得很隆重,气氛又很热闹,全场弥漫着一种很热忱、高昂的氛围。最近,主持此会的UTCP高桥哲哉老师、北川东子老师和中岛隆博老师将会议论文都汇集起来,编成了一本书《法と暴力の記憶:東アジアの歴史経験》,现已由东京大学出版会出版。

中岛隆博老师撰写的后序我觉得写得很不错,下面其中的精彩部分翻译如下:

那是很奇妙的友谊,是建立在未曾谋面的陌生人之间的一种友谊。那是等待着相遇的人们之间的友谊,如果借本雅明和布莱希特的话说的话,那就是为了履行“攻坚强者莫之能胜”(《老子》第七十八章)的承诺建立起来的一种友谊。那么,这种友谊来自何方?再照着本雅明说的话,它便是从过去到来的。
是的,我们的“法、历史、暴力在东亚”的问题本身又是为了履行与过去的“秘密承诺”而发出的。要将过去从“强者”的束缚中解救出来!
在这里,关键在于这个过去就是我们自己的过去。过去并不会让特定的民族叙事回收起来,而它是一种不同的声音和不同的视角共同对之回应的对象。如果只用一个命题来概括贯穿本书《法和暴力的记忆:东亚的历史经验》中每一篇论文的基调,则:
“我们对一切过去担负着责任,一切过去给我们寄予着期许。”
这是一道很艰难的命题。“对一切过去担负着责任”是极其严酷的,甚至让人不由得塞耳侧目。但是,“一切过去”同时又“给我们寄予着期许”。这又是莫大的欣慰啊!我们并没有孤零零地被抛弃在这个世界之中。我们存在于世界的友谊之下。

Tuesday, April 24, 2007

「外国事情(アジア事情)」レポート課題

明星大学通识课“外国事情(亚洲事情)”小论文要求如下:
  • 「思考課題」について、800字以上のミニ・レポートを完成して提出しなさい。
  • 提出期限:2007年5月7日16:30まで。
  • 提出先:石井研究室(27-514)のポストまで。
  • 今学期の成績は、ミニ・レポートを平常点とし、期末レポートと1:1の比率で評価する。
  • インターネット、その他書籍などからのひき写しは、無条件で0点とするので、絶対にしないこと。

「思考課題」 :

「アジア」とはどのような地域だろうか。その歴史を振り返るとともに、日本と「アジア」との関わりについて考察してみよう。

Monday, April 23, 2007

第一学期“语言文化研究”演习课研读安排

*はしか流行による全学休講措置(6月6日から12日)に伴い、6月11日以降のスケジュールに変更を加えました。

5月7日 田島英一『上海』
5月14日 同上
5月21日 同上
5月28日 スヴェン・ヘディン『シルクロード』
6月4日 未定
6月11日 *はしか流行による全学休講
6月18日 青樹明子『「小皇帝」世代の中国』
6月25日 濱崎憲一、伊吹淳『HIV/エイズと中国 感染者たちの挑戦』
7月2日 『論語』
7月9日 劉文兵『中国10億人の日本映画熱愛史』
7月16日 二階堂善弘『中国妖怪伝』
7月23日 徐城北『京劇の世界』

Friday, April 20, 2007

兴梠一郎《中国激流》

我在明星大学承担一节演习课,今年要跟同学们研读的第一本书为兴梠一郎《中国激流》(岩波书店,2005年)

Thursday, April 19, 2007

现代性、科学、二十世纪

本来ならば、一部分を拾って日本語訳をつけておくべきですが、その時間的余裕もないので、汪暉氏に対するインタヴュー記事を貼り付けておきます。
リンクできない場合は、こちらをどうぞ。

Friday, April 6, 2007

理、势、语言以及个人的生存

2005年12月17日,我在学习院大学举办的学术讨论会上关于汪晖先生的《现代中国思想的兴起》一书做了评述,上海三联书店《思想与社会》第6辑(2006年12月)刊登了我在会上诵读的发言稿全文。我后来在此基础上经过修改,写成了一篇文章。现将其全文介绍如下,欢迎阅读。

点击这里可打开文件>>>

Wednesday, April 4, 2007

社会分化的源头何在?

だいたいネーミングや宣伝文句からして、ある種の先入観を持たせるよう誘導している感じがありますのでふだんはあまりこの手のものは見ないようにしていますが、4月1日と4月3日にNHK総合テレビで放送された「NHKスペシャル 激流中国 富人と農民工」は、心に迫るものがありました。天津を舞台にして、「先富論」の恩恵を体いっぱいに浴びて大もうけしているいわゆる「新富人」と、彼らの足もとで厳しい出稼ぎ労働を強いられている「農民工」との対比のしかたがあまりにも鮮明に過ぎたからです。カメラは中国の市場改革によってもたらされた深刻な社会格差の現状をよくとらえていると思われます。(ついでながら、「格差」という言い方は90年代以降の公共言説がまともに向き合おうとしてこなかったある種の認識のフレームワークを覆い隠してしまう便宜的用語ではないかと思われます。もちろん、中国についてもまったくその通り、というよりも中国ではより深刻なのですが。例えば、戴錦華氏の《在”苦涩柔情”的背后》,《读书》2000年第9期、はそのあたりの事情を早い時期にうまく表現した好例でしょう。)
ただ、この辺がテレビというメディアの限界なのでしょうか、なぜこのような現状が生まれたのかという背景的説明がまったくと言っていいほどなかったのが残念です。例えば、広告会社社長をしているという若い「新貴族」が、天津市の高級幹部子弟だったということが触れられています。高級幹部子弟であれば、さまざまな特権がついてくるのだろうというのはもちろん誰にでもわかることなので、敢えて詳しく述べるまでもないということなのでしょうが、そのあたりのからくりについては、単によく言われる「一党独裁」云々という常套句で終わらせるべきではなく、より複雑な政治過程論として分析した方がいいと思われます。同じことは、北京で株式投資コンサルタントとして大成功を収めている元知識青年の例についても当てはまるでしょう。「健康食品会社」が株式公開をするということが何を示しているのかということ、それは単に中国における株式バブルというだけの問題ではないはずなのです。日本でも郎咸平氏の「国退民進」論については、一部経済アナリストによって紹介されているようです。国有企業改革の過程で生じているさまざまな現象に対する視点がなくして、「共産党が私営企業経営者を党員に迎えるようになった」という類の話題をニュースとして取り上げることにはあまり大きな意味がないように思えます。
さて、わたしがもっと気になったのは、「農民工」として取り上げられていた内蒙古自治区の2家族のことです。彼らのなまりからしてたぶん赤峰の人たちだろうと思いますが、彼らについても、ただ「底層」で苦しむ「農民工」ということばで表象するだけでは、もちろん不十分です。例えば、高校に通う娘の学費がなぜあんなに高いのか(つまり、彼女は「自費生」の類なのではないか)とか、医療費の自己負担はなぜ8割なのか(ここで問題にしているのは、8割が高いというのではなく、残りの2割を誰が負担しているのかということです)といったことは謎です。わたしがしばらく住んでいたのは同じ内蒙古自治区でも西部地区だったので、東北地区の農村とはかなり事情も異なっていると思いますが、カメラが映し出した彼らの居住環境は、少なくとも最悪のものではありませんでした。少なくとも、わたしが90年代半ばのころにしばしば泊めてもらった農家に比べるとずいぶん立派でした(特に女性の実家)。固定された現金収入とそれなりの社会福祉が受けられる時代がかつて彼らには存在していたのではないかということが想像されるのです。
私がいいたいのは、彼らが本当の「底層」ではないということでは決してありません。わたしが連想したのは、90年代後半から始まった国家機構のスリム化政策の結果、大量の失業者があふれたはずの基層レヴェルの集落(郷、鎮、村、つまり「公社」「大队」)の人々の社会関係、経済関係はその後どうなってしまったのだろうか、ということです。例えば、基層幹部として定年退職を迎えた人の子弟は今働き盛りのはずですが、彼らはどのようにして生計を維持しているのか、もしかすると、「農民工」という呼び名で一括されている流動人口層の中には、このような人々が大量に含まれているのではないか、という疑問です。つまり、社会主義体制の全体的な縮小、もっといえば内部的解体の流れの中で従来の社会関係から離脱されることを余儀なくされた人たち(ここでイメージしているのは基層幹部とその家族です)の社会生活・経済生活は、都市のレイオフ(下岗)人員とも、戸籍上の農民とも異なった状態として認識される必要があるのではないか、という疑問なのです。
これらはあくまでも根拠のない疑問ですから、予断は許されません。ただ、いわゆる「城郷分化」という二分論ばかりに目を向けていると、都市と農村の狭間で市場化と非国有化に翻弄されている人々の社会状況についての視線が忘れられてしまうのではないでしょうか。このあたり、以前書いたことにも関連していますので、未熟なかたちを承知の上で提示しておきたいと思います。