Wednesday, April 7, 2010

“愚乐孔子”及其它

映画『孔子』については前にも紹介しました。これにはさまざまな評価が当然ありますが、次のような評論は辛辣です。


映画のなかで、顔回が政治に失敗して郷里を離れることになった孔子に向かってこう言っている。「先生は以前わたしにこうおっしゃいました。もし自分で世界を変えることができないのなら、自分の心の中を変えるべきなのだと。」これは、『于丹論語心得』そのままのことばだ。(中略)これは最近の消費文化のなかでかまびすしい低レヴェルのことばで、2千年以上昔の孔子や顔回が本当にそう言ったのではないし、彼らはこんなことを考えたこともなかっただろう。

この文章の作者は、于丹と胡玫(この映画の監督)をどちらも孔子の「愚楽」化と呼んでいます。中国語を解する人にはぴんと来るはずですが、娱乐=愚乐(発音はどちらもyule)ということです。この四百万部以上売れたというベストセラーに込められた現状肯定イデオロギーには、この文章の作者と同じようにわたしもげっそりとした気持ちにさせられたので、このような対比には共感を覚えます。グローバル資本主義の避けがたい勢いのなかで、「自分の心の中を変える」ことによって、精神的な満足を得なさいというメッセージが、孔子または『論語』のパッケージに包まれてかくも大量に消費されていることをどう考えればいいでしょう?
同じ号に掲載されているもう一つのニュース、黄宣民、陈寒鸣主编《中国儒学发展史》三卷本(中国文史出版社,2009年)も覚えておくべき。記事には「侯外廬学派」の学統をひく研究とあります。まだ書店には出ていないようですが。

摘自肖鹰《电影〈孔子〉只是“愚乐孔子”》,载于《中华读书报》2010年2月10日

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