Tuesday, May 12, 2009

“五·一二”一年

四川省汶川を中心に発生した大地震から丸一年が過ぎました。一年前、5月20日の記事では、被災現場に大量の外国メディアが入っているという事実に対する一種の期待を述べました。ご覧いただければわかるとおり、その期待というのは、政治とかイデオロギーの面での話では全くなく、その逆に、意識的無意識的に思考と認識の方向を規定してしまい、ひいては内面化してしまってすらいる政治やイデオロギーのお仕着せの枠を取り払って、生の現場に入り込むことで、再度、原体験を獲得する契機が今後の中国報道に生かされてくるようになって欲しいという期待感でした。
一年たって、それはどの程度達成されたのでしょう?それを客観的に評価する力はわたしにはありません。しかし、事象認識のパターン化された構造というのはやはりそれほど簡単に変わるものではないのかもしれません。インプットからアウトプットまでの一連の作業をすべて個人的体験の責任の範囲で行うのではなく、さまざまな組織的濾過システムを通過することで初めて情報が情報として成立するという構造にも問題はあるのでしょうが、おそらくそれだけではないでしょう。
わたしの感覚が恐ろしく主観的なものであることは承知の上で、敢えてミステイクを引き受けるとするならば、「干与的対人関係」と「現世内楽観」とでも仮に呼べそうな、一種のエトスのようなものを中国の日常生活の中に見出していくことが可能なのではないか、それは一見したところ政権によるプロパガンダであると判断されがちな報道のあり方にも浸透しているのではないか、と思うことがあります。
「干与的対人関係」とは、大きくは「一方有難、八方支援」というような全社会規模のチャリティ・キャンペーンから、小さくはガード下のスロープを上ろうとしている大八車(もちろんそれは人力で引っ張っています)の後ろからそっと後押ししてやるような、ごく身近な相互扶助のしぐさにまで確認されるようなものです。「しぐさ」というのは、それらがほぼ身体化されてしまっていて、「精神」と呼ぶほどの大上段のものではないからです。「精神」のような理性的レヴェルのものであれば、がれきの下に埋められたまま救援を待つ高校生同士での数日にわたる励まし合いとか、彼らが救助を受ける順番を譲り合うとかいった、限界状況での利他性の発露を説明できないでしょう。
また、「現世内楽観」というのは、あのような状況の中でつねにあらわれる強靱なユーモア精神です。例えば、1950年代末から70年代まで続いた政治社会の混乱に反人道性を見出すのは、今日ではあまりに簡単なことです。しかし、あのような中でも、太鼓やチャルメラ、爆竹の喧噪が途絶えることなく続いていたことの意味にもう少し注目してもいいように思います。それはおそらく、底の見えない絶望や悲しみと表裏一体となることで初めて成立するような、生活のユーモアなのです。映画『太陽の少年(阳光灿烂的日子)』は、むしろ絶望的な状況の中でのきわめてかわいた生命感に戦慄を覚えさせるような作品ではありましたが、それでもその中には、こうしたユーモアの姿がところどころに垣間見えるのでした。より日常的なレヴェルでいえば、政治的儀礼から年中行事、人生の各ステージで行われる通過儀礼に至るまで、ほとんどの場合において静粛さと厳粛さに対するリスペクトとは正反対のベクトルが支配していることからなにが見えるでしょうか。
「干与的対人関係」と「現世内楽観」は二つにして一つのものです。これらのエトスは理性の働きによって知識に昇華されていくと、主に儒家的精神に結晶していきます。もちろん、そこに深刻な弊害がひそんでいることを否定するものではありません。つまり、それは時として、他者の息づかいに対する圧倒的な無理解や攻撃性として表出する危険性を同時に有しているからです。(だから、儒家的精神のなかに過剰な期待を読み込んで、そこに「中国的近代」などの可能性を見出していくような論調に対してはわたしは懐疑的です。)
被写体社会に共通して存在しているらしいエトスを、パタナリズムに支えられたメディアの言語や政治の言語の中から切り分けてくること、それがやがて、独立した精神としてのユニヴァーサルな理性へとつながっていくのではないかと思うのです。

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