Saturday, November 28, 2009

清华国学院

『中華読書報』2009年11月4日のトップ記事を見て、一瞬、驚きました。「清华国学尝试“体制特区”办院模式」(清華国学、「体制特区」経営モデルの試み)という文章です。1920年代のころ、清華研究院国学門は、清華国学院として知られ、梁啓超や王国維、陳寅恪、趙元任(いわゆる「四大導師」)という清末民国初期の中国知識界を代表するスター的存在が中心となって、多くの学者が輩出しました。清華大学は解放後の学部再編制で理工系の総合大学になりましたが、近年来、人文社会系の学科再建に力を入れ、強力なスタッフを集めています。
その清華大学が、1990年代の学術史ブームで再び脚光を浴びるようになった「清華国学院」を、「清華大学国学研究院」として復活させるというニュースです。各大学が「国学」を看板にした研究教育組織を立ち上げる中で、やや遅れたかたちでその潮流に加わろうとするには、「清華国学院」ブランドの復活は、清華大学にとってまたとない格好の宣伝材料になること間違いありません。
標題の「特区」モデルというのは、学院スタッフが各学科・専攻に行って授業を担当するほか、従来の他学科や他大学(国内外)からも兼任や客員を呼んで学院内での教育研究に携わる、ということです。こちらのほうは、言ってみれば、欧米で進む学際的な人文学研究の高等研究院の創設という国際的な学術動向にあわせた取り組みということになるでしょう。
こうしてみると、清華大学の今回の行動は、国内での国学ブーム、国際的な人文学研究組織再編制という二つの時流に合わせた、タイムリーで巧みな変化だということになりますが、それだけに、実質的にどれほど内容の伴った実りある研究教育ができるのか、それとも単なる打ち上げ花火に終わってしまうのかは、まだまだ不透明だと言わざるを得ません。むしろ気になるのは、院長と副院長に就任したのが陳来と劉東であるということです。陳来は中国哲学研究の代表的存在であり、劉東は『中国学術』の編集長として、国内外の人文学研究の最前線を架橋する重要な役割を果たしてきました。両者とも文句なしに中国の大陸を代表する知識人ですが、どちらも北京大学からの異動ということになるようです。ネット上で見ると、二人とも「清華大学教授」と書かれているので、北京大学からは完全に出てしまったということになるのでしょうか。そうであれば、北京大学の人文学にとっては小さからぬ打撃だと思うのですが。

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