Thursday, November 12, 2009

崔健的“痛心疾首”和“不合时宜”

たまたま手にした『中国青年報』2009年11月4日をめくっていて、「崔健:廉颇老矣」と題する短いコラムが気になりました。書き手は杨芳という人。崔健といえば、80年代後半に登場した中国のロック歌手です。「廉颇老矣」とは、戦国時代に趙国の名将として武勇をはせた廉頗のこと。後に野に下り、魏国に身を寄せていたころ、趙が秦の度重なる攻撃で劣勢に立たされ、再び彼を呼び寄せようとしたところ、様子を伺いに行った使者が「食欲こそあるが、もう年をとってしまっている」と報告したために、趙王は結局、呼び寄せるのをあきらめました。このことから、能力も志をあるのに、老けてしまったと評価されてあるべき地位を与えられない人の不遇さへの感嘆として、「廉颇老矣」ということばがよく使われているようです。
さて、崔健の場合はどうなのでしょう。以下に、全文を訳しておきます。

このロック歌手の名前をよく見かけるのは、音楽のチャート上ではなく、娯楽ニュースのタイトルだ。数日前のこと、かつてのゴッド・ファーザーは、例によって中国のミュージシャンたちにけんかを売った。彼が言うには、今では科学技術が発達して、ソフトを使えば修正できてしまうので、「歌のへたくそなやつがうまいやつになっている」。
アニキのつらさにはため息をつかざるを得ないが、アニキの時代錯誤ぶりにもむせびがもれる。今の人々が髪の毛を切るのに大金を惜しまないのに、正規のCD一枚すら買おうとしないのはなぜか、「快男快女」(ファン投票で選ばれて芸能界にデヴューするアイドル歌手たち)のコンサートには行きたがるのに、朦朧詩の詩集一冊すら買おうとしないのはなぜか、近代建築を文化財であるかのようにパッケージしようとするのに、祖先が遺した文化遺産には見て見ぬ振りをするのはなぜか。きっとこれらの理由を彼はわかるはずもないのだろう。
彼はただ、人々が世俗に呑み込まれていくことを歯がゆく思いながら見つめることしかできない。わたしもあなたもそうであるように、もうとっくに「一无所有」(崔健の代表曲)は聞かなくなってしまったし、幼いころの夢についても語らなくなってしまった。ただ、時として新聞の片隅に、年取った男がぶつぶつ言っているのを見つけては、それをまた投げやって、退屈な日々を繰り返すのである。

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