さて、崔健の場合はどうなのでしょう。以下に、全文を訳しておきます。
このロック歌手の名前をよく見かけるのは、音楽のチャート上ではなく、娯楽ニュースのタイトルだ。数日前のこと、かつてのゴッド・ファーザーは、例によって中国のミュージシャンたちにけんかを売った。彼が言うには、今では科学技術が発達して、ソフトを使えば修正できてしまうので、「歌のへたくそなやつがうまいやつになっている」。
アニキのつらさにはため息をつかざるを得ないが、アニキの時代錯誤ぶりにもむせびがもれる。今の人々が髪の毛を切るのに大金を惜しまないのに、正規のCD一枚すら買おうとしないのはなぜか、「快男快女」(ファン投票で選ばれて芸能界にデヴューするアイドル歌手たち)のコンサートには行きたがるのに、朦朧詩の詩集一冊すら買おうとしないのはなぜか、近代建築を文化財であるかのようにパッケージしようとするのに、祖先が遺した文化遺産には見て見ぬ振りをするのはなぜか。きっとこれらの理由を彼はわかるはずもないのだろう。
彼はただ、人々が世俗に呑み込まれていくことを歯がゆく思いながら見つめることしかできない。わたしもあなたもそうであるように、もうとっくに「一无所有」(崔健の代表曲)は聞かなくなってしまったし、幼いころの夢についても語らなくなってしまった。ただ、時として新聞の片隅に、年取った男がぶつぶつ言っているのを見つけては、それをまた投げやって、退屈な日々を繰り返すのである。
No comments:
Post a Comment