Tuesday, October 28, 2008

三农问题、灾后重建和“三聚氰胺”

『天涯』2008年第5期の周立《极化效应和全球大危机》は、三農問題の複雑さを改めて感じさせる重厚な論文です。グローバル資本主義のもとでは、エネルギー集約型の大規模農業を展開して、農業の産業化を図らなければ競争に生き残っていくことはできないというのが周氏のとりあえずの現状分析です。しかし、そのような農業発展戦略は、誤った発展主義であり、そこにはサスティナビリティーが欠落していると周氏は言います。1990年代の中ごろ、レスター・ブラウンの『だれが中国を養うのか』というショッキングなタイトルの本が物議を醸しました。人口の増加と経済発展に伴う生活水準の向上、その一方での耕地面積の縮小は、不可避的に食糧問題を引き起こさざるを得ないという議論でした。中国国内では、この仮説に対して、当然のことながら強烈な拒絶反応が見られました。90年代後半に国が提唱した農地面積の動態的平衡(どこかの農地を産業向け用地に転用しても、他の土地を農地にもどすことでトータルなバランスを保つ)などはブラウンの警鐘に対する直接間接的な回答の一つだったでしょう。その一方で、21世紀を迎えたころから強調されるようになった、都市化率向上の政策は、多くの地方都市で急激な土地バブルを促しましたし、周氏の言うように、GDP至上の地方行政評価システムのもとでは、中央の耕地保護政策がなおざりにされてしまう現実を変えることができません。周氏の主張は悲痛なほどです。

イエス・キリストが言う狭き門は、天国の福音を信じるということだった。しかし、農業モデルということに限って言えば、この狭き門とは、人力と畜力による小農耕作を少しずつ恢復し、ここ数十年の間に形成されてきた農業の石油、化学肥料、農薬に対する依頼を少しずつ減らしていく、ひいては断絶するということだ。しかし残念ながら、そうした一部の巨大な近代的大型機械にもとあった運営モデルを停止させ、小農耕作モデルに服従させるということはほとんど不可能だ。だから、わたしたちは、この門は狭き門であるといわざるを得ない。資本が世界を引っ張る今日、それは不可能に近い。

周氏が批判しているのは、資本主義だけではありません。社会主義モデルにおける農業近代化建設も同様の問題をかかえていたことを、氏は朝鮮(北朝鮮)における農業の疲弊を例に挙げて説明しようとしています。今日の飢餓状況は、原油依存型の機械化農業が立ちゆかなくなってしまった結果なのだと。

一方、同じ号の巻頭に掲げられたノンフィクション、野夫《废墟上的民主梦-基层政权赈灾重建的追踪观察与忧思》は、「五・一二」特集の続きですが、この中では、農村における人心の疲弊が「基層」(末端行政単位)被災地の問題を複雑化している事例が報告されています。人心の疲弊がなぜ生じたのか、野夫はこう言います。

わたしたちは次のような事実を認めなければならない。今日の郷村社会では、たとえ党組織がこれまでどおり、基層の村組織にまで発展してきたとしても、相変わらず農民に共産主義の理想や社会主義の道徳を声高に述べたところで、基本的にはそれは教条主義であり、実効は乏しい。郷村社会で世代を超えて伝えられてきた栄辱観とかしきたりなどが、当時の「社教」、「破四旧」など極左運動に粉砕されてしまったあとには、新しい価値観がずっと生み出されないままなのだ。農民の権利に対する長年にわたる差別や無視の結果、貧しい人々は往々にして、真っ先に経済的な損得を考えるよう迫られるようになり、道徳的な良し悪しは考えなくなった。

「基層民主」と中央の政策との板挟み状態にある基層政府の苦悩を描き出した後、作者は郷村コミュニティの精神的紐帯を恢復する試みを取り上げつつ、そこへの期待を露わにしています。そこには、宋代以降に見られるようになった「郷約」や、20世紀前半の梁漱溟らの農村自治運動のイメージが重ね合わされています。
考えてみれば、中国国内のみならず、近隣諸国・地域にまで広がった「メラミン」混入事件もまた、酪農の産業化がもたらした災害でした。中国では酪農が盛んに行われている地域が相対的に少なく、いかにして牛乳や乳製品を巨大な国土全体に安定供給するのかというのは、たいへん難しい問題です。成分管理をせざるを得ないのは、そのような中国乳製品市場特有の事情があるからです。しかし、個人酪農家からの原料乳仕入れをやめて、生産段階から酪農企業が一括した生産・出荷管理を行えばそれで解決されるということにはおそらくならないでしょう。それでは、個人酪農家の活路を絶ってしまうことになりかねないからです。ましてや、乳製品製造企業を支えている彼ら個人酪農家たちの多くが、草原での牧羊生活を離れて、新しい集落で酪農に特化された生計を営んでいるわけです。
野夫は「刁民」(狡猾な農民)増加の事例を、個々の倫理性の問題としてではなく、より大きな社会体制の問題として考察しようとしています。小農経済からの訣別を果たすことによって1980年代以降今日に至る発展と繁栄が得られたのだとすれば、その代価が計量されるのはまだまだこれからのことなのかもしれません。

Monday, October 20, 2008

记忆五一二

5・12地震発生後、このブログでも目立つところにリンクを貼り付けておいた、日本赤十字の義捐金受付サイトが閉鎖されていました。このところ、中国の報道でも取り上げられることが少なくなってきたようです。メディアの関心が移ろいやすいのはしかたがないとしても、むしろ復興がたいへんなのはこれからのはずです。
手前味噌になりますが、わたしが所属している東大東アジアリベラル・アーツ・イニシアティヴ(EALAI)では、夏学期に自然災害と社会をテーマにした連続講義が行われました。
こちらから講義概要と学生アンケートが掲載されているページにリンクできますのでどうぞ。

本博客在“五·一二”地震的消息传来之后不久,就设置了日本红十字会招募捐款网站的链接,前两天偶然发现该网站已经关闭了。中国国内的相关报道最近好像也少了起来。媒体关注的对象随时转移,大概是没办法的事情。但灾后重建工作却在往后愈加重要。
我所奉职的东京大学“东亚教养教育创新组织(EALAI)”上学期组织了以自然灾害与人类社会为主题的连续讲座。由此可进入该网页查看讲座梗概和答问集。