イエス・キリストが言う狭き門は、天国の福音を信じるということだった。しかし、農業モデルということに限って言えば、この狭き門とは、人力と畜力による小農耕作を少しずつ恢復し、ここ数十年の間に形成されてきた農業の石油、化学肥料、農薬に対する依頼を少しずつ減らしていく、ひいては断絶するということだ。しかし残念ながら、そうした一部の巨大な近代的大型機械にもとあった運営モデルを停止させ、小農耕作モデルに服従させるということはほとんど不可能だ。だから、わたしたちは、この門は狭き門であるといわざるを得ない。資本が世界を引っ張る今日、それは不可能に近い。
周氏が批判しているのは、資本主義だけではありません。社会主義モデルにおける農業近代化建設も同様の問題をかかえていたことを、氏は朝鮮(北朝鮮)における農業の疲弊を例に挙げて説明しようとしています。今日の飢餓状況は、原油依存型の機械化農業が立ちゆかなくなってしまった結果なのだと。
一方、同じ号の巻頭に掲げられたノンフィクション、野夫《废墟上的民主梦-基层政权赈灾重建的追踪观察与忧思》は、「五・一二」特集の続きですが、この中では、農村における人心の疲弊が「基層」(末端行政単位)被災地の問題を複雑化している事例が報告されています。人心の疲弊がなぜ生じたのか、野夫はこう言います。
わたしたちは次のような事実を認めなければならない。今日の郷村社会では、たとえ党組織がこれまでどおり、基層の村組織にまで発展してきたとしても、相変わらず農民に共産主義の理想や社会主義の道徳を声高に述べたところで、基本的にはそれは教条主義であり、実効は乏しい。郷村社会で世代を超えて伝えられてきた栄辱観とかしきたりなどが、当時の「社教」、「破四旧」など極左運動に粉砕されてしまったあとには、新しい価値観がずっと生み出されないままなのだ。農民の権利に対する長年にわたる差別や無視の結果、貧しい人々は往々にして、真っ先に経済的な損得を考えるよう迫られるようになり、道徳的な良し悪しは考えなくなった。
「基層民主」と中央の政策との板挟み状態にある基層政府の苦悩を描き出した後、作者は郷村コミュニティの精神的紐帯を恢復する試みを取り上げつつ、そこへの期待を露わにしています。そこには、宋代以降に見られるようになった「郷約」や、20世紀前半の梁漱溟らの農村自治運動のイメージが重ね合わされています。
考えてみれば、中国国内のみならず、近隣諸国・地域にまで広がった「メラミン」混入事件もまた、酪農の産業化がもたらした災害でした。中国では酪農が盛んに行われている地域が相対的に少なく、いかにして牛乳や乳製品を巨大な国土全体に安定供給するのかというのは、たいへん難しい問題です。成分管理をせざるを得ないのは、そのような中国乳製品市場特有の事情があるからです。しかし、個人酪農家からの原料乳仕入れをやめて、生産段階から酪農企業が一括した生産・出荷管理を行えばそれで解決されるということにはおそらくならないでしょう。それでは、個人酪農家の活路を絶ってしまうことになりかねないからです。ましてや、乳製品製造企業を支えている彼ら個人酪農家たちの多くが、草原での牧羊生活を離れて、新しい集落で酪農に特化された生計を営んでいるわけです。
野夫は「刁民」(狡猾な農民)増加の事例を、個々の倫理性の問題としてではなく、より大きな社会体制の問題として考察しようとしています。小農経済からの訣別を果たすことによって1980年代以降今日に至る発展と繁栄が得られたのだとすれば、その代価が計量されるのはまだまだこれからのことなのかもしれません。