Tuesday, May 27, 2008

王元化先生逝世

華東師範大学が誇る著名知識人王元化氏が上海にて逝去されたそうです。享年88歳。大御所的存在として上海リベラリズムを精神的に支えてきた王氏は、日本では『文心彫龍』研究がよく知られているようです(『王元化著作集第1巻 文心彫龍講疏』)。知識人としての王氏像として最もよく知られているのが、「思想のある学術、学術のある思想(有思想的学术和有学术的思想)」という標語で、上海を中心とする啓蒙思想に大きな影響を与えていると言われています。ネット上では多くの追悼文がアップロードされていますが、劉夢渓氏の《挽元化》をリンクしておきます。追悼特集は、この「思与文」のほか、「学术中国」でもみられます。

《犹太与以色列之间》

刚看完一本叫做《犹太与以色列之间》的书(早尾貴紀『ユダヤとイスラエルの間』、青土社、2008年)。作者对于马丁·布伯(Martin Buber)、汉娜·阿伦特、朱蒂斯·巴特勒(Judith Butler)、以塞亚·柏林(Isaiah Berlin)、以及艾德华·萨义德(Edward W. Said)等人有关犹太复国运动(也叫“锡安主义”,即zionism)的哲思和立场进行了大胆且细致的分析,由此试图揭示现代国民-国家框架的内在困境。所分析的对象都是20世纪以后很重要的哲学家和思想家,而且除了萨义德之外的人都是犹太人。有一种说法称:20世纪的哲学思想归根结底都在犹太思想的问题意识上展开的。但是,比如阿伦特,人们一般有意无意地淡化她思想中锡安主义的性质或着对之避而不谈。作者却勇敢地面对锡安主义这一尤其在英美世界极其敏感的问题,很低调地分疏了她们对锡安主义表现出来的理论与实践之复杂内涵。依我不充分的阅读,作者的心声体现在对萨义德的如下概括中。他说:

萨义德在其《弗洛伊德和非-欧洲人》的结尾自问道:“对于能照顾到离散族群(diaspora)式人生的政治所产生的条件,我们有无可能抱有希望?它能否为犹太人和巴勒斯坦人这两个民族在她们共同的土地上建立一个国家提供一个不甚脆弱的基础?”萨义德在批评1993年奥斯陆协议以建立两个国家解决问题的方案时,积极提出了“以一个国家解决”的替代方案。他也在《弗洛伊德和非-欧洲人》中称:“1993年以来的奥斯陆和平方案进程所描绘出来的分割并没有消弭相互对立的民族叙事之间的抗争。反而它却凸出了两全其美的不可能性。”因为她们本来就不可能各自自我封闭在坚实的民族认同和民族叙事之中。
萨义德第一次将binationalism(或曰“一个国家两个民族”)的思想作为他的主题明确表达出来的是在1999年的论文《以一个国家解决One State Solution》中。他并不是要说只能通过这种办法来求得解决,他所要表明的不是这种消极思想。相反,他的方案包涵着对历史多样性的承认以及对双方民族自决权的同时性尊重,它是作为一种面向未来的、富有魅力的思路被提出来的。我相信,萨义德一直到他生命的最后之最后将它作为一个现实政治构想来坚持下来,与此同时,他也一定在寻找从思想史的角度对之进一步深化的可能。他自问“能照顾到离散族群式人生的政治”和“binationalism”是否能兼顾,而他以这样一个回答来结束他的讲演:“我本人是相信的。”

Friday, May 23, 2008

多语言交流平台上的中国学术话语

5月20日に、オランダ・ライデン大学で中国近代思想史を研究しているアクセル・シュナイダー(Axel Schneider)氏の講演を聴いてきました。東京大学UTCP主催のこの講演は、「Chinese Conservatism: History, National Identity and the Human Condition」というテーマでした。シュナイダー氏は中国清末民初期の伝統重視派の学者たちの中には、timeless ethicsに対する想像に基づきながら主に歴史学としての近代的学術言説を構築していったといい、そのような潮流を「保守主義」と呼びました。timeless ethicsというのは、時代の変化によって変わることのない、ある種アプリオリな倫理構造のことを指しています。彼は柳詒徵らの歴史学著作を読解しながら、彼らの史的ナラティヴの中には、歴史の中にそれが存在しているという一貫した信念がみられることに注目しました。
講演そのものももちろん非常に啓発的でしたが、この日最も考えさせられたのは、それではなく、講演会とその後の食事会を成り立たせていた言語的環境のほうでした。講演会での公用語は英語でした。シュナイダー氏はドイツ人ですが、非常に流暢な英語と中国語を操り、英語が大変苦手な私にとってはずいぶん助かりました。食事会では、メンバーのほとんどが中国語を解さないので、英語がここでもまた唯一の交流言語になったわけです。メンバーの母語の背景も多様で、日本語の人もあれば、フランス語、ドイツ語、英語などといった状況でした。したがってちゃんとした意志疎通のためには英語を話せることが不可欠となります。こうした場面は何も初めて遭遇したわけではなく、私はここで英語を話すことの重要性を言いたいのではありません。そうではなく問題は、中国学の言葉をどうやって言語の多様性という基盤の上に置き直すかということです。そのためには、これまでの語りの構造を根本的に組み替えていく必要があるはずです。伝統的な言説空間の中にとどまってただそれを守り続けるだけでは先が見えています。かといって、こうしたグローバル化の時代の流れにやみくもにしたがう結果、斯学の伝統が遺してくれた貴重な遺産を無視することになるというのはなおさらまずいことでしょう。言語の多様化という基盤を利用しつつ、そこからもう一度中国学の歴史的蓄積の中に潜在力と価値を見いだすことが必要でしょうし、それは可能なのだろうと私は思います。

5月20日去听荷兰莱顿大学中国近代思想史专家施耐德(Axel Schneider)先生的学术讲演。由东京大学UTCP主办的该讲演题目叫做“Chinese Conservatism: History, National Identity and the Human Condition”。他认为中国晚清民初的一批传统主义学者依据timeless ethics的想像试图建构以史学话语为主的现代学术话语,而他将这种思想潮流称作“保守主义 conservatism”。Timeless ethics是不随时代的变化而变的一种先验伦理体系。他通过阅读柳诒征等人的史学著作发现他们的历史叙事中可看到对它在历史中存在的一贯信念。
讲演的内容本身固然很富启发性,但这天最给人以深思的却不在此,而更在于讲演会以及会后聚餐所赖以成立的语言环境。会议的公用语言为英语,施耐德先生身为德国人操纵非常娴熟的英语和汉语,对很不擅长说英语的我帮助很大。而聚餐会的成员大多都不会汉语,所以英语在这里再次成为了唯一的交流语言,成员的母语背景又不单一,有日语的,也有法语的、德语的、英语的,要想充分地得到互相沟通,你不得不会运用英语。这种场面我并不是第一次遇到,我不是想说英语有多重要,而问题是如何将有关中国的学术话语放到语言多样化的知识平台上?这里无疑存在着一种从根本上转变以往的话语结构的需要,沉浸在传统的话语场域只知道墨守成规是不会有前途的。当然,一味地要跟随这种全球化的历史潮流的结果忽视学术传统赋予我们的宝贵遗产更不是个办法。我想,通过利用语言多样化的知识平台重新挖掘埋在中国学历史积淀中的潜能和价值才是有必要的,而且是可能的。

Wednesday, May 21, 2008

中国早期启蒙思想的兴起

陳来《历史自觉和文化主体》(《读书》2008年第5期)は、武漢大学の著名な哲学史研究者蕭萐父氏の文集《吹沙集》《吹沙二集》《吹沙三集》(いずれも巴蜀书社,2007年)に対する簡潔な書評となっています。蕭氏には李錦全氏との共著になる『中国哲学史』(人民出版社、1982年)があり、大学の哲学教科書として広く読まれていたようで、かくいうわたしも初めて読んだ中国哲学通史の著作がこれでした。私が当時読んだのは19世紀以降の近代部分だけでしたが、経学史や宋学史のフレームワークとはやや毛色の異なる叙述のしかたが特徴的で、最近ももう一度読み直してみたいと思っていたところでした。陳来氏はこの中で、蕭氏の主要な関心が「中国初期啓蒙思想」の系譜をさぐることにあることを指摘し、侯外廬の流れに連なるものであると述べていますが、その通りなのでしょう。
ほかに、《思史纵横(上)》(武汉大学出版社,2007年)には、陳文でも言及されている《中国哲学启蒙的坎坷道路》、《文化反思答客问》などの80年代の著作が収められています。

Tuesday, May 20, 2008

认识中国

中国四川省汶川地震の惨状が日本のメディアでも終日伝えられています。災害を起こした自然のエネルギーに対する衝撃の大きさは言うまでもなく、今なお必死の救出作業が続けられ、しかもこれから長期にわたって継続されるであろう困難な被災地での生活再建活動、など一連の現状と課題を思うと痛心の念に堪えません。
しかし一歩下がって冷静にこの度の事態を日本の側から眺めてみると、特筆すべき重大な要素は、いわゆる「国際救助隊」よりもはるかに規模の大きい人の群れが被災直後から第一線に入っているという事実でしょう。おそらく、これほど多くのメディア関係者が同時期に中国社会の広汎な生の現場に入り込むという事態は、空前のことではないでしょうか。近くにはSARS危機や1998年の洪水のときにも、さらには、1989年の「六四」事件の時にも、このような大量かつ同時的な現場報道はなかったはずです。つまり、少なくとも国交正常化後としては最大で、さらに遡って、今回と同規模以上の経験があるとすれば、侵略戦争時代まで遡ってしまうのではないでしょうか。あらゆる他者のことばを介在することなく、直に現状に触れ、それをオリジナルソースとして報道するという体験の中には、これまでになかった中国理解が生まれてくる契機がきっとあるはずです。既成の知識や先入観にとらわれることなく、今眼前で繰り広げられていることを適確に表現する視点とことばをどうやって鍛え上げていくのか、日本のメディア関係者は今試されているといって過言ではないと思います。

知ることから理解し、感じることへ、その逆に、感じることから理解し、知ることへの移行。民衆分子は「感じる」けれども、必ずしも理解あるいは知るというわけではない。知識人分子は「知る」けれども、必ずしも理解するとは限らないし、とりわけ「感じる」とは限らない……。知識人の誤りは、理解することなしにとりわけ感じたり、情熱的であることなしに、知ることができると信じている点にある……。

アントニオ・グラムシは、「有機的知識人」の条件について、このように語っています(片桐薫編訳『グラムシ・セレクション』、p.175)。日本のジャーナリストたちは中国で暮らす人々の集団の中から有機的に形成されてきたわけではありませんから、この引用をここで持ち出すのは必ずしも適切ではないでしょう。(グラムシは有機的知識人を語る際に、それが有機的に形成されてくる場を階級性として理解していました。)ましてわたしは、「連帯」の可能性に賭けるべきたと考えているわけではもっとありません。ただ、個々の状況に向き合うことを原動力として、そこから普遍を経由し、そしてもう一度、別の個体の生存状況に寄り添い直すという知的営みの力が問われているとするならば、もとの定義を乗り越えつつ、グラムシの省察に共感していくことは可能なのではないでしょうか。

Thursday, May 15, 2008

一方有难,八方支援

日本赤十字社の中国四川省地震救援募金のページへのリンクを右に設けました。6月10日まで受付だそうです。

Wednesday, May 14, 2008

“现代中国”与儒学普遍主义

汪暉氏が《帝国的自我转化与儒学普遍主义》(帝国の自己転化と儒学的普遍主義)という長編の論文をネット上に公開しています。基本的には、4巻本『現代中国思想的興起』の中で論じてきた、経今文学の解釈学に基づくmodern Chinaの体制構想に関する彼の主張の延長上にあるもののようですね。わたし自身まだ読んでいませんが、とりあえずダウンロードしておきました。上のハイパーリンクからお入りください。『読書』の編集を下りた後に行われたはずの思索がどれほど形になっているのでしょうか?
それにしても、「グローバリゼーションと脱政治化」という氏の問題提起は、チベット問題があのような形でクローズアップされるようになってから益々重要であると思われてきました。
そして、今回の巨大地震。報道の中には政治的な思惑をさぐらんとするむきも少なからずあります。そのような観察と推測の当否を判断する力はわたしにはとてもありません。ただ、災害大国でもある中国で、このような巨大災害が起こるたびに展開される迅速かつ献身的な各方面の救済活動や、市民レヴェルでの互助活動、そしてそれらを支える強力なリーダーシップの姿から学ぶべきものがきっとあるとわたしはいつも思います。