Monday, April 28, 2008

几何原本、徐光启、中国当代社会

東方書店の情報誌『東方』2008年4月号の巻頭に掲載された李梁氏の学会レポート「東海西海、心同理同:「紀念徐光啟暨『幾何原本』翻譯四百周年國際研討會」速記」は、1607年(万暦三十五年)にイエズス会士マテオ・リッチが徐光啓とともにユークリッドの『原論』を中国語訳して出版した年から400年たったことを記念して、上海で開催されたシンポジウムの様子を生き生きと紹介しています。この漢訳版『原論』をめぐる卓抜な研究として、安大玉氏の『明末西洋科学東伝史』(知泉書館、2007年)があることは以前にも紹介したことがあります。明末清初に伝えられた西洋科学のインパクトをより重大なものとして考えるべきではないかというのは、安氏の研究が鋭く指摘しており、かくいう私の博士論文もそのような見方の影響を大いに受けつつ書かれたものです。
そういうわけで、このようなシンポジウムが開かれ、上海の徐家匯には徐光啓の記念館を始め、教会や蔵書楼など、徐光啓の偉大さを今にしのばせるモニュメントが残されているということは、恥ずかしながら知りませんでした。昨夏は近くまでいっていたはずなのですが。
この中で紹介されていた書物に
安国风《欧几里得在中国:汉译〈几何原本〉的源流与影响》(江苏人民出版社,2007年)
Peter M. Engelfriet, Euclid in China: The Genesis of the First Chinese Translation of Euclid's Elements, Books I-VI (Jihe Yuanben, Beijing, 1607) and Its Reception Up to 1723 , Brill Academic Pub, 1998
がありました。検索しても出てこないのは実際にはまだ出版されていないということでしょうか。
また、李氏が最後に触れていた朱維錚氏の発言も確かに李氏のいうとおり、「刺激的で興味深い」ものです。朱氏については、以前「儒学第三期」に関する記事を載せたときに紹介したとおりです。このシンポジウムでは、「今の経済的豊かさと政治的腐敗は晩明と驚くほど似ている」と発言したのだとか。

东方书店的通讯《东方》2008年4月号在其卷首刊登了李梁的学会纪录《东海西海,心同理同:“纪念徐光启暨《几何原本》翻译四百周年国际研讨会”速记》。该文生动地介绍了为了纪念自1607年(万历三十五年)耶稣会传教士利玛窦与徐光启合作翻译出版欧几里得《几何原本》四百周年在沪举办的国际研讨会的情况。如我曾经介绍,关于此汉译版《几何原本》,安大玉《明末西洋科学东传史》做过极富价值的研究。正如他的研究所表明,明末清初传入的西方科学对中国知识话语的影响应该受到更大的重视,我的博士论文也深受这种观点的启发而成的。但很惭愧,之前我不知道有过这样一次学术研讨会,也不知道上海的徐家汇还有诸如徐光启纪念馆、教堂、以及藏书楼等等足以让今人缅怀徐光启的名胜古迹。可惜去年夏天去上海我都擦肩而过了。李文介绍一本书叫《欧几里得在中国:汉译〈几何原本〉的源流与影响》(安国风著,江苏人民出版社,2007年),我怎么也搜索不到,或许还没有正式出版?另外,该文在结尾处提及的朱维铮先生的发言确如李氏所说“带有刺激性,很有趣”。我也在这里曾经介绍过朱维铮,就在谈及“儒学第三期的三十年”的时候。据李文介绍,他在这次研讨会的发言中说:“现在的经济繁荣和政治腐败与晚明时期的情况惊人地相似”。可谓盛世危言。

Saturday, April 26, 2008

欧洲人眼中的中国(书讯)

许明龙《欧洲十八世纪“中国热”》,外语教学与研究出版社,2007年
1999年に山西教育出版社から出版されたものが「国際漢学叢書」シリーズとして復刊。
孟德卫《1500-1800中西方的伟大相遇》,江文君、姚霏译,新星出版社,2007年
Devid E. Mungello, The Great Encounter of China and the West, 1500-1800, Rowman & Littlefield Pub Inc, 2005、の中国語訳。 同一作者には他に《莱布尼茨和儒学》(江苏人民出版社,1998年)、《神奇的土地:耶稣会士的适应性和早期汉学的起源》(Curious Land: Jesuit Accommodation and the Origins of Sinology, Univ of Hawaii Pr, 1989) などの中訳著作がある。
许明龙《黄嘉略与早期法国汉学》,中华书局,2004年

信息来源:黄敏兰《看两百年前欧洲人如何“颂华”》(《中华读书报》2007年11月28日〈书评周刊〉栏目)

Monday, April 21, 2008

“大柱子”?

前回紹介した、张晴滟《〈悲惨世界〉与〈九三年〉:舞台上的雨果》(「『レ・ミゼラブル』と『九十三年』:舞台のユーゴー)では、訳さなかった言葉があります。ランボーの言葉にあった「耶和华和大柱子」の「大柱子」です。 何のことだかわかりませんでした。どなたかごらんになった方でご存じでしたらご教示ください。

上次翻译了一段关于雨果话剧的文章,我故意落下一个单词没有翻译出来。那就是“大柱子”。如果有访客知道它的意思,请不吝赐教!

Tuesday, April 15, 2008

雨果·人性·现代

『中華読書報』2007年12月5日「国際文化」欄から。話題は2004年に中国で舞台化されたビクトル・ユーゴーの小説『九十三年』についてです。

张晴滟《〈悲惨世界〉与〈九三年〉:舞台上的雨果》
(略)監督は『九十三年』を演じることの現実的な意義について語った時に、それは彼自身ですらまだはっきりわかってはいない「モダニティの危機」についてもう一度考えることだと述べている。モダニティとは何か?そしてどんな危機だというのか?「文学への回帰、人間性への回帰、人間の魂への回帰」とつけられたインタヴューの副題がヒントになっているだろう。ここで問われてくるのは、「人間性」とはいったい何を指しているのか、ということだ。舞台版の答えは、何らかの宗教性であるという。それはユーゴーの作品の中に間違いなくはじめから存在しているものだろう。天才詩人ランボーはこの老人の作品の中に、「ヤハヴェの強烈なにおいがする」ことを敏感に感じ取っていた。フローベールやボードレールは異口同音に、ユーゴーの小説に登場する「人々は人ではない」と言っていた。ラマルティーヌは『九十三年』の宗教的ヒューマニズム哲学を批判して、「それは最も危険なものだ……大衆を惑わす最も致命的で、最も恐ろしいものは、これら実現しようのないものなのだ」と述べる。
1980年代以来、いわゆるリアリズムといわれる作品が数多く舞台を支配してきた。それらは人物関係を浅薄に図式化し、真の問題を避け、偽の答えを偽造してきた。『九十三年』の階級を超えた「人間性」に対するうったえは、あまり有力とも言えない反抗だと見ることができるだろう。だが、かつての古びた神事をもう一度持ち上げることは果たして最終的な終着点になるのだろうか?

Monday, April 14, 2008

书讯一则(摘自《中华读书报》)

『中華読書報』2007年12月5日「書評週刊」の記事をひとつ(抄訳)。

马俊峰《中国价值论领域的奠基之作》-评李德顺《价值论》第二版,中国人民大学出版社,2007年9月
20年前、すなわち、1987年、李徳順氏の『価値論』が出版された。李徳順氏は大学入試再開後の最初の修士、最初の博士だ。本書はその博士論文をもとに書かれている。(中略)20年を経て、作者は修訂を施し、第二版として当時と同じ人民大学出版社が出版し、さらに座談会を開催している。
(中略)
李徳順氏の『価値論』における最大の貢献、同時に中国マルクス主義哲学に対する重要な貢献は、主観性と主体性の違いを明らかにし、「主体性」という哲学概念を確立し、価値を主体性を有する客観的事実であると見なしたことだ。価値は人によって異なり、主体のニーズの変化にしたがって変化するが、同時にそれは客観的なものであって、主観的なものではなく、人々の評価や願望によって転化するものではない。ここでの主体は個人でもいいし、集団でも、人類全体でもよい。どのレヴェルの主体においても、そのニーズは客観性を有する現象であり、一定の客体がもつ属性や機能が主体のニーズを満足できるかどうか、そしてその満足の程度はどうかということもまた、客観的な事体である。したがって、価値の問題についても、科学的な理論研究は可能なのだ。『価値論』の第一篇「価値に関する本体論的研究」は、本書全体の半分近くを占めているが、それは主にこの問題を解決しようとするもので、価値の本質と特徴を議論している。わたしたち今日の研究者たちが「価値は主体的な現象である」ということを基本的な常識であるかのように気軽に述べてしまうとき、当時の開拓者がいかにたいへんであったか、その功績はいかなるものであったかを決して忘れるべきではないだろう。

Friday, April 11, 2008

中国“国家”的构架

『開放時代』第2期の巻頭テーマ《中国国家的性质:中西方学者对话(一)》は、登場する論者の知名度の高さもさることながら、マクロな視点から主にポスト社会主義時代の中国が示す「国家」のかたちをどう認識すればよいのかということを論じた、内容的にも読み応えのある論文集となっています。上に示したリンクからは、収録論文の梗概を見ることができます。また、紹介によると、この特集は、"Modern China"2008年1月号に掲載された"The Nature of the Chinese State: Dialogues among Western and Chinese Scholars"の中国語版だということです。目録を下に掲げます。

黄宗智(Philip C. C. Huang) 集権的ミニマリズム:中国における準官僚と紛争解決を主とするクアジ・オフィシャルな基層行政(黄宗智《集权的简约治理:中国以准官员和纠纷解决为主的半正式基层行政)
康暁光・韓恒 類別コントロール:今日の中国大陸における国家社会関係に関する研究(康晓光/韩恒《分类控制:当前中国大陆国家与社会关系研究》)
王紹光 中国におけ公共政策アジェンダ設定モデル(王绍光《中国公共政策议程设置的模式)
孫立平 ソーシャル・トランスフォーメーション:発展社会学の新たな課題(孙立平《社会转型:发展社会学的新议题)
汪暉 対象の解放とモダンに対する問い-『現代中国思想的興起』に関するささやかな再考(汪晖《对象的解放与对现代的质询:关于《现代中国思想的兴起》的一点再思考》)
許慧文(Vivienne Shue) 統治プログラムと権威の混合的本質(许慧文《统治的节目单和权威的混合本质》)
プラゼンジット・デュアラ(Prasenjit Duara) 中国における長い20世紀の歴史とグローバリゼーション(杜赞奇《中国漫长的二十世纪的历史和全球化》)
イヴァン・セレニイ(Ivan Szelenyi) ひとつのトランスフォーメーション・セオリー(《一种转型理论》)

フィリップ・ホアン氏はアメリカの中国近代史・近代思想史研究を代表する研究者で、ここ最近は清代以降の農村社会に対する研究を意欲的に行って、大陸の知識界で少なからぬ反響を与え続けています。個人でサイトを運営しているようですのでリンクを貼っておきます。今回の特集でもコーディネーターになっているようで、巻頭にイントロダクションを寄せて、厖大な論文集の見取り図を示してくれています。中国の基層行政は清代以降、中央官制に組み込まれていない地方コミュニティの自治的システムに支えられており、そうした状態は文革期まで継続していたといいます。こうした主張はたびたび取り上げている楊念群氏の『再造病人』にも如実に表れているものです。孫立平氏が中国の国家/社会関係を分析するための社会学の理論モデルを構築する際に、政治過程の多様性と柔軟性に配慮した実践的アプローチが必要だと主張するのも、こうしたホアン氏の認識に通じるものでしょう。もちろん、こうした「第三領域」の存在を、中国における市民社会生成論などとどのような距離感をもって認識するのかということについては意見が分かれるでしょう。康・韓論文は、市民社会論モデルの中で中心的に取り上げられる非政府アクターに対する政府権力の浸透性を等級的(graduated)に分類したものです。これは一面においては、汪暉氏がしばしば批判するハイエクモデルの市場社会論に対する別の角度からの批判としても機能するものかもしれません。王紹光氏は公共政策の決定に影響を及ぼす圧力が民間から政策決定者の間のどのレヴェルで生起しているのかに応じて、政治過程における民衆参加形式をモデル化しています。これは、中国における政策決定プログラムを類型化しようとするおもしろい試みと言えるでしょう。改良-革命に代表される二元論モデルとは別の可能性に対する模索の試みです。汪暉氏は、『現代中国思想的興起』を、その後のさまざまな評論に鑑みながら、再度総括的に自己解説したものです。社会学的視座から中国の国家/社会構造に対するマクロな把握を試みた他の論文とは明らかに異質なものですが、「中国」というひとつの文明体のかたちを考える上で、汪暉氏の帝国-国家を中心とする分析の視点が非常に重要であることはいうまでもないことです。彼の論述の規模が大きすぎて、その全体に対する適切な批評が困難であるのは、残念なことです。
 全篇を貫く共通の前提は、中国の社会構造のトランスフォーメーションをポスト社会主義的現象であることだと思われます。その意味で、東欧の新家父長制、中欧の新自由主義と中国の制度転換を比較的視座のもとに類型化してみせるイェール大学のセレニイ氏の論文は、中国研究者にとってはありがたい研究です。 

Wednesday, April 2, 2008

博士论文提要

请点击下列网址:
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/cgi-bin/thesis.cgi?mode=2&id=558

课程介绍

东京大学大学院地域文化研究专业《多民族文化交错论》课程的大纲如下:

夏学期は、1990年代の中国大陸における知的状況を理解するのを目的として関連する著作の輪読を行なう。参加者に対する要求は以下の3点:①関連する中国語現代文の汎読、②担当箇所に関する口頭発表、③議論への積極的な参加。授業は基本的に日本語で行なうが、議論を活発にするための中国語使用を妨げない。使用教材は《启蒙的自我瓦解》(许纪霖、罗岗等著,吉林出版集团有限责任公司,2007年)を予定。冬学期は、清代以降の文言文に対する読解訓練を行なう。他者の言語文化との交錯という政治的現象が固有の知的ディスコースをどのように揺さぶっていったのかを分析する手がかりになるような、比較的短い文章を適宜選ぶ。参加者はそれを正しい現代中国語の発音で音読するとともに担当箇所の全文を日本語に翻訳することが求められる。また、議論参加の積極性が求められるのは夏学期と同様。教材は授業中に指定する。

开课日期为4月18日(周五)。上课地点以及时间请看《履修案内》。