Saturday, March 22, 2008

公共教育与“国退民进”

1990年代後半から顕著になった「国退民進」を基調とする国有企業改革が何をもたらしているのかをめぐっては、中国国内でも激烈な論争が繰り広げられています。『読書』2008年第3期の巻頭に掲載された「品书录」中の周国平《为今天的教育把脉》は、杨东平《中国教育公平的理想与现实》を紹介しながら、「国退民進」の教育現場に対する浸透の現状を深い憂慮とともに伝えています。楊東平氏は北京理工大学教授、90年代のころからメディアにもしばしば登場し、「自然の友」という中国最初の環境NGOの副会長としても知られる著名知識人です。そう、それと忘れてはならないのは、CCTVのあの伝説的番組、崔永元が司会を務めていた《实话实说》の制作にも彼は関わっていたのでした。
さて、中国の教育の現場、とりわけ大都市圏の状況をこの短文はよく伝えていると思われます。例えば、

政策と実践という点から見た場合、「教育の産業化」の具体的なやり方は、中等教育段階においては主に、公立学校の転制(非公有化)となる。「名門校が民間校を経営する」ということだが、例えば、名門中学(中国で「中学」といえば、中高六年間の中等教育機関)の初等中学部を、高い学費を取る「改制学校」とする。高等教育段階での主なやり方は、高い学費を取る「二級学院」や「独立学院」を経営することだが、近年来、数や規模への一辺倒ぶりが一層高まっており、不動産開発モデルによって新しいキャンパスや「大学都市」が開発されたりしている。大学募集定員の拡大の結果、普通制高校がボトルネックとなり、高校入試競争が大学入試よりも厳しくなるという新たな状況の下で、中等教育には一層大規模な二極分化が生じている。

こうした状況は、中国をとうに離れているわたしから見ても十分に察せられる状況というべきですが、たぶんこうした教育産業の過熱現象の影でより深刻なのは、自主的・強制的にこうした教育システムからはじかれていく人々が構成するであろう社会的インパクトのほうではないだろうか、という危惧をおぼえます。『論語』のことばに「朽木不可雕也」というのがありますけれども、経済資源と社会資源の極端な格差のもとで形成される教育という名の資源収奪競争を前にして朽ちていかざるを得ない子どもたちは、はたして救われる道がないのでしょうか?

Thursday, March 20, 2008

李零《重归古典》

『読書』2008年第3期に、李零《重归古典:兼说冯、胡异同》が掲載されています。作者の李零氏は北京大学中文系教授。于丹氏のテレビ『論語』講義が反響を呼んで社会現象となって以来、孔子と『論語』をめぐるさまざまな議論が中国の主要メディアをにぎわわせているようですが、そのような中で『喪家狗』(山西人民出版社、2007年)という『論語』注釈本を出版して物議を醸した人でもあります。『家をなくしたのいぬ』という揶揄のことばを孔子がよろこんで受け入れたというエピソードは『史記』孔子世家に見えるものですが、李零氏はこのことばを取り出して、現代の儒学復興熱の中で一人祭り上げられる孔子をもう一度等身大の人間に引き戻そうとします。

『論語』を読んでわたしが感じるのは、「孤独」という二文字だ。孔子はとても孤独だった。いまでは孔子にセラピストになってもらおうとする人もいるが、実際のところ、彼自身の心の病は誰にも治すことができなかっただろう。

『読書』掲載のこの文章の中では、中国哲学史を確立した胡適と馮友蘭の哲学史論を比較しながら、先秦諸子を平等に並べた胡適の「文化的立場」を再評価しています。馮友蘭は胡適の方法に従って諸子に関する歴史叙述から出発しているにもかかわらず、儒家の中国思想史における地位を「君主立憲制下の君主」のように扱っているといいます。それに対して、胡適は諸子を平等に扱おうとしていたと李零氏は述べます。つまり、「馮友蘭は諸子学を経学にし、経学を理学にし、理学を新儒学にした」のに対して、胡適は「諸子学を拡大して思想史にした」というのです。

胡適の出現が引き起こしたのはパラダイムの転換だった。彼の書は馮氏の書とは方向が正反対だ。一方は一家から百家へ戻ろうとするものであり、もう一方は百家からもう一度一家へと返るものだ。馮氏は「順に似るも逆」であり、胡適は「逆に似るも順」なのだ。今日この歴史を振り返る際には、胡適先生に特に感謝しなければならない。なぜなら彼がいなければ、わたしたちは百家争鳴ということばの意味を知ることはなかったのだから。彼が示した方向性こそは、中国文化の新たな方向性を示すものだった。

そして李零氏はこう結論します。

諸子学の復興、それこそが古典へ返るということだ。その古典とは真正なる古典なのだ。

わたし自身、博士論文の中では、胡適の哲学史論に「漢学的哲学」の特徴を見いだして、現代新儒学につながる「宋学的哲学」と区別しようと試みたものですから、この李零氏の主張には十分共感するところがあります。ただ、もう少しいうならば、胡適のこうした哲学史ナラティヴを思想史的に準備したのは章炳麟でした。
このブログではわたし自身の専門には言及しないことがわたしの中でのルールになっているので、これ以上は述べません。ただ、近年来の儒家ブームを相対化する李零氏のこのような視点は、実は学術史研究内部のアカデミックな議論にとどまらない問題を提供しているものと思われます。

Saturday, March 15, 2008

图雅的婚事(日文版)

ベルリン映画祭金熊賞を受賞した、『トゥヤーの結婚』を見ました。この映画は内蒙古西部のゴビ砂漠に暮らすモンゴル族を題材にしていますので、マスメディアも「モンゴル」という文化的記号を強調してこれを紹介しています。この映画の監督と女性主人公を演じた俳優がいずれも漢族であったことを知らなかったわけではないのですが、見る前にはモンゴル族の遊牧生活を描いたものだということを疑っていませんでした。しかし、観賞してみてそうではないことをはじめて知りました。つまりこれもまた、「水を渇望する物語」だったのです。
「水を渇望する物語」といえば、すぐに思いつくのが80年代に公開された代表的な二つの映画、『古井戸』と『黄色い大地』です。これらの作品の中では、長らく続いてきた農耕文化は、閉鎖性、貧困、停滞、愚昧を象徴するものでした。物語の登場人物たちは、それぞれ異なった形で、水に対する渇望を表現していました。『古井戸』では、水は自由と意志を象徴しており、『黄色い大地』では、黄河の水が、啓蒙的理想へと続いているのでした。『黄色い大地』に比べると、『古井戸』のほうはより楽観的であるようです。つまり、それは、知の力によって人々は立ち後れた生活を克服し、自らの運命を把握できるということを伝えていました。これは、ちょうど当時の新啓蒙運動における楽観的な雰囲気と重なり合うものだったでしょう。一方の『黄色い大地』は、比喩的な語り方で深い省察をメッセージ化していました。すなわち、革命思想を主とする啓蒙運動が結局は挫折せざるを得ず、黄土高原に生きる人々は、黄河が海に流れ込む壮大な光景を目の当たりにすることはできないであろうと。『河殤』というテレビシリーズが描いていたとおり、大海に流れ込む黄河のイメージは、農耕文明の商工業文明への流入を予示していたのでした。80年代には「球籍」ということばで、資本主義的グローバル化のプロセスに参与していかんとする中国の欲望が主張されていました。この二つの映画の、水に対する共通するアレゴリーとはすなわち近代化のことであったといってよいでしょう。『黄色い大地』は中国革命の道に疑問を投げかけていたわけですが、それでもなお、近代的啓蒙の可能性をあきらめていたわけではありませんでした。
21世紀に入り、近代化神話には隠すことのできない欠陥が見られるようになりました。『トゥヤーの結婚』には、80年代における二つの水の物語とははっきり異なる前提が存在しています。つまり、近代的な工業社会の実現は必ずしも人々の幸福の実現ではないということです。「先に豊かになった」一部分の人々は、心の空虚にさいなまれています。したがって、水を掌握するということも、ここでは近代的な物質文明の招来であるとはとらえられていません。かたくなに井戸を掘り続けるという誠実さによってトゥヤーを勝ち取ったセンゲーは、『古井戸』の主人公や『黄色い大地』の八路軍兵士のような、教養を備えた英雄的人物像ではありません。彼は自分の妻に何度も振られ続ける甲斐性のない男性でした。彼の妻は金銭に対する誘惑を断ち切ることができず、彼が妻の好意を引き寄せるために無理をして買ったトラックすらも、すぐに妻によって売り払われてしまいます。センゲーの井戸掘りは結局成功するのでしょうか。物語はその結末を教えてはくれません。しかし、センゲーとトゥヤーにとって、それは最も重要なことではないでしょう。彼ら、それにトゥヤーの前夫バートルは、皆生活の中でそれぞれ異なった傷を受けています。それでもなお彼らが生き続けようとする理由があるとすれば、それは、彼らを結びつけている愛情に他なりません。愛情は一方通行のものではありません。トゥヤーのかつての同級生は石油で一儲けし、アラシャン盟のゴビに帰ってきて、トゥヤーにプロポーズしますが、結局振られてしまいます。つまりこの二人の間に愛情は成立しようがなかったのです。センゲーの井戸掘りは失敗に終わるかもしれません。しかし、そのことによって彼らの愛情が破滅することはないでしょう。この物語の中では、トゥヤーやバートル、センゲーら三人は皆、生活の無情さを実感し、心身共に傷ついています。そして、そのような痛みを経た上でこそ、彼らはともに寄り添い合うことを決めるのです。彼らを救うのはもはや近代化や啓蒙思想ではありません。この点は、80年代の水の物語と大きく異なるところです。
実は、このような物語はモンゴル族の習俗と必然的なつながりがあるわけではありません。全編で漢語が使われているという簡単な事実がそれを伝えているだけではありません。井戸を掘るという行為自体、定住生活、つまり農耕文化の生活においてはじめて必要となる作業であり、遊牧生活を送るモンゴル族の伝統的な生活スタイルは、井戸水によって生活水を確保する必然性はありませんでした。したがって、これをご覧になる人が、この映画が専らモンゴルの物語を語っていると理解するとすれば、それは誤解でしょう。この物語が語っているテーマを民族の範囲に狭めるべきではないと思います。それは、中国の近代化過程において今日まで続いているテーマに関する深刻な物語なのです。ただそのモンゴル的な記号のみに目を奪われていると、作品の持つ普遍的な意義を見失いかねません。

图雅的婚事

看了一部柏林电影节金熊奖获奖片子:《图雅的婚事》。这部影片以生活在内蒙古西部戈壁地区的蒙古族为题材,所以媒体对她的宣传定位总离不开“蒙古”这一文化符号。之前我并不是不知道她的导演和扮演女主角的演员都是汉族人,但很直观地相信这肯定是一部描述蒙古族以游牧为主的生活当中所遇到的种种故事。观后才知道并非如此,原来这是又一部“缺水的故事”。
说到“缺水的故事”,马上让人联想到的无非是八十年代的两部具有代表性的影片:《老井》和《黄土地》。在那里,悠久的农耕文化代表着封闭、贫穷、停滞和愚昧,故事中的人们以不同的方式表现出了对水的渴望。《老井》里面,水象征着自由和意志;《黄土地》中,黄河水通向启蒙的理想。比起后者,《老井》似乎显得更乐观一些。她告诉观众:人类可以依靠知识的力量摆脱落后的生活,能掌握自己的命运。这正好符合于当时在新启蒙运动下弥漫的乐观氛围。而《黄土地》以隐喻的方式传达了一个很深刻的反思:以革命思想为主导的启蒙运动终究会遭到挫折,黄土高原上的人们最终看不到黄河入海的宏大场面。电视节目《河殇》所告诉的那样,流入大海的黄河预示着农耕文明融入到工商业文明。八十年代的“球籍”诉求所代表的便是中国要参与到资本主义全球化进程的强烈欲望。可以说,这两部片子对水的共同隐喻就是现代化。即使《黄土地》质疑了中国革命道路,但仍然没有放弃现代化启蒙的可能性。
到了21世纪,现代化的神话出现了很多难以掩盖的罅漏,《图雅的婚事》和八十年代的两个缺水故事之间有一个截然不同的前提:现代工业化社会的实现并不等于人们幸福生活的实现,“先富起来”的一部分人因心灵的空虚而陷入了另外一种困境。所以,对水的控制在这里不一定给人们带来现代化的物质文明。通过坚持打井的赤诚心来赢得图雅的森格不像《老井》中的男主人公和《黄土地》里的八路军战士那样是有文化的英雄形象,他是被妻子反复抛弃的一个很不出息的男人。他的妻子禁不住金钱的诱惑,他为了挽回妻子的感情好不容易购得的一辆卡车也没过多久就被妻子倒卖掉。森格的打井能否成功?故事不告诉其结局如何,但对森格和图雅他们来说,这并不是最重要的,他们再加上图雅的原配丈夫巴特尔都在生活当中受到不同性质的伤害,他们活下去的理由只是联接他们的一颗感情。感情绝不是单方面的,图雅的同学成了石油大王,再回到阿拉善戈壁向图雅求婚遭到拒绝,就是因为两个人之间无法建立起感情。也许森格的打井以失败为告终,但这不会导致他们之间感情的破灭,在这个故事里面,图雅、巴特尔和森格三个人都体会过生活的无奈,也都有身心两方面的创伤,就因为这一切疼痛的经历,才使他们相依为命。救活他们的已经不是现代化或者启蒙思想,这一点和八十年代的水故事有很大的区别。
其实,这样的故事和蒙古族的风俗习惯之间没有必然的联系。通篇采用的语言都是汉语这一很简单的事实就告诉这个道理。不但如此,打井本身也是定居生活方式亦即农耕文化生活才需要做的工作,以游牧为主的蒙古族传统生活方式并不需要依靠井水来解决吃水问题。所以,请观众别以为这个影片专门叙述着蒙古的故事。她所叙述的主题不能缩小到民族范围,而她是在中国现代化道路上延续至今的主题中的一个深刻叙事。只看她的蒙古符号反而会迷失影片的普遍意义。

Saturday, March 1, 2008

中国传统文化在当代中国所扮演的角色

東京大学のCOEプログラムの一つであるUTCPが主催するワークショップが3月6日、7日に開催されます。「中国伝統文化が現代中国で果たす役割」というタイトルで、近年来の儒学復興ブームを哲学的な視座のもとで論ずるということのようです。