Tuesday, October 30, 2007

冯友兰《三松堂自序》日文版

说到中国哲学,差点儿忘了吾妻重二先生翻译的《冯友兰自传》,顾名思义,该是《三松堂自序》吧。这一阵儿忙完了应该仔细拜读了。

Monday, October 29, 2007

中国思想史著作陆续出版

日本国内的中国思想史研究界最近呈现出近年来少有的出版盛况。我在这里曾介绍的《朱子语类》日文版第一批的刊行无疑是其中最备受关注的例子。除此之外,还有吉田纯《清朝考証学の群像》(2006年12月)、沟口雄三、池田知久、小岛毅三位学界重镇合作撰写的《中国思想史》(2007年7月)、近现代思想史研究的大师级专家野村浩一的《近代中国の政治文化》(2007年10月)、中岛隆博《残響の中国哲学》(2007年9月)和安大玉《明末西洋科学东传史》(2007年8月)等等,不胜枚举。而且,这里凝聚着日本研究中国思想史界老中青三代的各代力量,可谓蔚为大观。如果仔细参互比较,不难发现这些著作相互之间保持良好的学术张力,形成着耐人寻味的多重变奏。
当然,所列之书均根据本人兴趣所趋而举,并非涵盖全面。另外,这里提到中岛老师的第一本日文专著,照作者撰著的意图说的话,也许有点不妥。因为此书着重探讨重构“中国哲学”话语的可能性,实质上不应归入“中国思想史”范畴。但本人今天发帖旨在介绍出版情况,只能如此苟且行事。望见谅。至于对之评论,更只好待后再叙了。
但愿这个繁荣景象能够引起国内外读书界广泛的反响。

Saturday, October 20, 2007

《读书》所陪伴的时代与社会(续)

汪暉:東南アジアを研究している中国の学者はその多くが華人研究、華僑研究を中心としていますし、韓国文化研究では、儒学や漢籍に関する研究が主体です。そのほかの地域も同様です。そこに欠落しているのは世界史という視点であり、本当の意味での地域史ですらありません。わたしたちの自己理解がとても偏っているのです。参照するものが異なれば、理解のしかたも完全に変わってしまいます。中国知識界に人材がいないのではないのですが、視点がしっかりしていないため、ある種のものがながされ、失われてしまっている。参照系がすべて混乱してしまえば自己理解すらなくなってしまうのです。呂新雨さんの先ほどのことばを使えば、「他者other」に言及してしまうとたちどころに間違いだらけになってしまい、あらゆる領域において、ほとんどすべて把握できなくなってしまう。それこそは本当の知の危機です。これまでこうやって多くのことを話し合ってきて、西洋中心論に対する批判も出ましたが、この意味ではわたしたちはやはりそれに支配されているのです。正しいことをずっと言い続けてきたと思ったら、やはりそこでまだ足踏みをしていることに気づくという、これこそは根本的な問題でしょう。
戴錦華:西洋という概念は、あまり軽々しく使わない方がいいのではないでしょうか。いわゆる西洋というのは欧米のことを指しているのですが、ヨーロッパはアメリカとの間で新たなたたかいに入り、ポスト冷戦期を考える際の最も重要な変数になっています。一方で、ヨーロッパから始まった資本主義の拡大は、最初から「グローバル化」したものでした。それ以外の国や地域がそれとぶつかるやいなや、「自己」と「他者」の問題が現れてきます。しかし忘れてはいけないのは、いわゆる主体の構造というのは、つねに「自他構造」であり、他者とは永遠に自己にとっての他者だということです。他から「我」を設定するプロセスの中で、他は自己の一部分に変質していきます。したがって、西洋中心主義は最初から外在的な、単純なものではないのです。今日、アメリカはどこにあるのか?アメリカはわたしたち自身の深いところにいるのです。中国の多くの外貨貯蓄が皆アメリカ連邦政府の証券になっているというときに、アメリカはどこにあると言えますか?(中略)欧米諸国が第三世界に遭遇し、植民地の人々が立ち上がって「人」になろうとしたとき、ヨーロッパの学者たちは、自分たちもまた世界の一つの地域の自己に過ぎないのだということを再認識せざるを得なくなりました。ポスト構造主義とかポストモダンというのは、こういう前提があった上で生まれてきた知なのです。今それをわたしたちが使うとなると、主体/客体、自己、他者という複雑な関係を処理しなくてはならないでしょう。

ところで、『読書』2007年第8期の「編集後記」の最後の一文は次のようなひと言でした。
実は今もう黎明時だ。しかし、なお明暗の狭間である。
センセーショナルなメディア言説の中で消費されることになった「事件」の渦の中で、上海でこうした座談会が開かれていることを、「編集後記」のこのことばと重ね合わせて考えてみれば、変わりゆく時勢の中で、それを見きわめつつ、自らのよって立つべき位置を顧みるという、冷徹な思考の強さが試されているのだとも思われます。

Wednesday, October 17, 2007

《读书》所陪伴的时代与社会

『天涯』2007年第5期の巻末に、《巨变时代的世界观:〈读书〉十年文选座谈会摘要》という題で、汪暉氏を招いた座談会の様子が詳しく報告されています。座談会は90年代半ばの人文精神論争で論争の中心にいた王暁明氏の所属する上海大学の主催で、6月30日に開催されています。北京と上海を代表する豪華な顔ぶれの討論会です。主な発言内容を目につくままに摘録してみたいと思います。前後のつながりを無視して、発言の興味深い部分だけを取り出していますので、異なる発言間で話題の一貫性は保たれていません。申し訳ありませんが、ご諒解ください。

1 『読書』と二十年来の中国や世界の激変
蔡翔(上海大学):『読書』の議論は往々にして知的なレヴェルで展開され、しかもさまざまな専門的な知的バックグラウンドを提供してくれました。これも私が『読書』からしばしば多くの収穫を得ることができた原因ですし、これからも『読書』がこの方向を継続して進めていって欲しいと期待しています。もしこのような成長が、いわゆるわかりやすさとかわかりにくさといった議論を呼ぶのだとしたら、それは問題として成立しない議論だと思います。「読みやすさ」を『読書』に求めるというのはあまりに低次元です。それに、『読書』の30年来の伝統はいわゆる「読みやすさ」ということばでくくれるものではありません。30年来、『読書』がずっと力を注いできたのは、新たな知を広め、歴史や現実に関心を持ち、中国の未来を積極的に探っていくということでした。ですから、『読書』は中国知識界で最も著名な思想のプラットフォームになっただけではなく、思想を伝播するかたちで、中国のあちこちに大小さまざまな知のサークルを形成してきたのです。これこそが『読書』の最も重要な伝統ではないでしょうか。
高瑞泉(華東師範大学):中国の哲学研究は、今、時代をとらえることがまったくできていません。それはときに何らかの知的バックグラウンドとして利用され、個人の修養に利用されていくことがありますけれど、現下の時代性をとらえられていないのです。『読書』はこの10年間で確かに、時代の最も尖鋭な問題をさぐりあてていました。これからもこの方向で大きな役割を果たしていって欲しいと思います。
許紀霖(華東師範大学):『読書』の問題点の核心は、読みやすいかどうかということではないのです。問題は、『読書』を制約している背景的条件にあまりにも大きな変化が生じているということです。それは少なくとも3点挙げられるでしょう。第一に、公共的な文化空間の消失ということです。(中略)1990年代以降、公共知の空間は解体し、個別のディシプリンに分割されました。公共的な問題を論じる文章もあるにはありますが、そこで使われているのは自分の畑の中でしか通用しない隠語であり、畑違いの人にはわかりにくい。読者のほうも専門化されてしまいました。二番目に、1980年代には見られた自由な環境が今ではすっかり失われ、たくさんの問題がタブーになっているということです。何か主張しようという場合に、問題となるのは何を言うのかではなくて、どのようにいうかと言うことであり、専門化された表現であるほど、ある意味で表現の自由を獲得しているという状況です。最後に、1980年代には、啓蒙という基本的なコンセンサスが存在していたということです。多少の分岐はあっても、その背後には基本的なコンセンサスがあったのです。つまり、汪暉氏が当時言っていた「態度の同一性」、近代化に対する同一的な態度のことです。しかし、こうしたコンセンサスは、1990年代半ば以降次第に失われ、さまざまなイデオロギーや専門のディシプリン、ひいては、共約困難なミニ・コミュニティへと分化していきました。専門の細分化というのは知の成熟化のあらわれでもあるのでしょうが、そこではイデオロギーが往々にして情緒的になりがちです。
陳映芳(華東師範大学):『読書』は社会科学化し、専門化したのでわかりにくくなったという人がいます。そこにはちょっと誤解があって、社会科学が問題をはっきりと述べることができていれば、それが理解できないというのはおかしいのです。問題は社会科学では一定の専門的基礎が要求されており、作者にも問題に対する専門的な研究が要求されているということです。『読書』が近年来提出してきた問題には重要なものがいくつかあります。1990年代以来中国では多くの問題が社会レヴェルで爆発的に登場し、知識界や思想界はそれに対する応答を求められてきました。『読書』は中国の問題を世界とかアジアといった背景において理解しようとしてきましたが、それはきわめて必要なことです。しかし、私は社会科学研究者として、それらの文章を読んであまり快く感じられないことがあります。それは専門化しすぎているからではなく、作者の西洋社会科学に対する理解が恣意的であったり、中国の問題に対する深い研究が欠落していると感じられるからです。いい問題が提出されてきたというのに、議論が情緒的だったり、イデオロギー的な文脈の中で展開してしまっている。これでは真正な議論の展開にとって不利でしょう。たぶんそこには原因があって、編集者とか作者の側の原因以外にも、国内の社会科学研究者が、具体的な問題の研究に沈潜している反面、中国の問題と世界的な問題を結びつけ、具体的な問題を思想理論のレヴェルに引き上げて思考するような衝動や能力を欠いているということにも原因があるのではないでしょうか。
2 1990年代初め以来の中国における思想と知の新風景
張汝倫(復旦大学):『読書』がいちばんやるべきなのは、人々に反省と批判の頭脳を提供することであって、流行のタームを容易に受け入れたり、流行しているような事実に関する描写を行うということだけではないでしょう。わたしたちはこれほど多くの現実的問題を抱えているというのに、それを学術的思考のエネルギーに変えていくことができないというのでしょうか?例えば、母親を連れて病院に行く途中で拉致されて、レンガ窯で働かされるといったようなこと、わたしたちはこうしたことについて、ジャーナリスティックな角度から考えるだけでは当然満足できないわけですが、そうなってしまうのは1980年代以降の思想文化の発展全体のうちに何らかの欠落があるということを示しているのです。私はインドの知識人をうらやましく思うことがあります。彼らは自分たちの言葉を持っているような感じがします。それはわたしたちにも実はできることなのですが。
汪暉:歴史叙述の正当性は、今日ではグローバル化をどう評価するか、コロニアリズムの歴史や帝国主義の歴史、民族解放運動の歴史をどうやって再び分析するかということに関わってきます。多くの問題がそのプロセスの中で転化していきました。20世紀にできあがった明確な価値判断や是非の基準が、その中で曖昧になっていきました。左翼右翼ということが言われる一方で、左右の違いが非常にわかりにくくなっている。汝倫はさきほど西洋の知的ヘゲモニーのことを言っていたわけですが、わたしたち自身の歴史を書き直すということも、実際には一つの問題になっているのです。20年の変転を経て、わたしたちは非歴史的な人間になってしまいました。わたしたちはつねに歴史を叙述しているのですが、真正な歴史叙述は構築されてこず、いわゆる価値のすがたのようなものを提供できていないのです。こうした背景のもとで、社会科学や人文学のすべてが直面している危機は実はきわめて深刻なものなのです。中国の知識界でここ数年みられるいさかいには、不愉快な部分がたくさんありますけれども、こうしたいさかいを通して、わたしたちは多少なりとも、ある種のものが浮かび上がってきているのにきづかされます。それはわたしがこうした議論の中で見いだすことのできる最もポジティヴな部分です。例えば、「三農」問題に関する議論によって、多くの学生たちが農村に行くようになり、多くの農民たちが再組織化を行うようになり、多くの歴史的資源がこれらの議論や関連する社会的実践の中から再び取り上げられるようになりました。知識人や若い学生にとって、これは自己教育の運動なのです。こうした自己教育の運動がなければ、歴史を書き直す可能性も生まれてこないでしょう。
戴錦華(北京大学):わたしたちはややもすれば教育の大衆化とか文化の大衆化とか、消費の大衆化などといいますね。それと対照的な言い方をすると、『読書』はアカデミズム小衆化ですね。(中略)国による最も楽観的な統計では、中国のネット人口は2億に満たないということですが、わたしの調査したところでは、「ネチズン」と言い得る人の数はせいぜい数十万といったところです。中国の人口が13億であるということに比べると、ほんの一握りに過ぎません。今日いわれる中国の「大衆文化」は、90%以上が(わたしには統計的根拠があります)、小衆文化です。大作映画のチケットは80元ですけれど、これはアメリカのロードショー映画よりもずっと高いものです。劇場映画はそれでも大衆文化でしょうか?80元を払って『HERO』を見て、ネット上でその悪口を言う、これはたいへん小衆的なグループゲームに過ぎないのですが、どれをとっても、主流コンテクストでは「大衆」と言われています。これは9億の農民「大衆」とはまったく無関係なものではないでしょうか?わたしたちはどうやって中国の大衆問題を語ればいいのでしょう?大衆は人民と同じものなのでしょうか?小衆とはつまり少数ということなのでしょうか?主流の批判は永遠にマージナルな少数のところから生まれてくるものです。知識人には自問し、答えていくべき問題が山ほどあるのです。
3 視野とイマジネーション:中国、アジア、世界
羅崗(華東師範大学):数日前のことですが、ベンヤミンに関するゼミを開いているのですが、東京大学の教授や学生とワークショップを行いました。(中略)わたしたちはベンヤミンも読めば魯迅も読みます。わたしたちから見れば、ベンヤミンも魯迅も第一次世界大戦の衝撃の中から誕生した傑出した思想家であり、世界的危機に対するトータルな応答を構成しているのです。誰が東洋に属し誰が西洋に属しているかということをわたしたちは気にしたことはありません。ベンヤミンの目を借りて今日の中国を見ることもできれば、魯迅の目を借りて今日の中国を見ることもできるのです。アジアという問題が浮かび上がってきても、それをいわゆる東西二元対立の関係に置くべきではないでしょう。以前、ある韓国の学者がいい問題を投げかけていました。つまり、わたしたちが、アジア共同体について語るとき、結局のところ、それは日本、中国、韓国の各国政府が想像しているような経済的共同体に対応しているのだろうか、もしそうだとしたら、わたしたち知識人の立場はどうなってしまうだろうか、と言うのです。これは非常に鋭い問題です。

Saturday, October 13, 2007

所谓“中国道路”,还是“祭如在”?

新左派の代表的論客として有名な甘陽氏は、『読書』2007年第6期に《中国道路:三十年与六十年》と題するエッセイを発表し、この号の巻頭を飾りました。甘陽氏は、この中で中国の近代化プロセスを、孔子・毛沢東・鄧小平という三段階の伝統構築-継承プロセス、すなわち「新時代の“通三統”」であるとして、中国の改革は「儒家社会主義共和国」を目指すべきであると主張しています。「通三統」というのは、中国思想史に明るい人でない限り耳にすることのないような表現ですが、もとはといえば、儒家経典の解釈学派のひとつ、経今文学派が『春秋公羊伝』に対する解釈の中で抽出した概念です。もっとも、今文経学の範疇で「統」は、「伝統」という意味にはなりませんので、孔子・毛沢東・鄧小平という三伝統を貫くという意味での「新時代の“通三統”」説は、甘陽氏が一種のパロディとして用いただけかもしれません。だとすれば、「儒家社会主義共和国」ということばの含蓄についても別の解釈が可能になるでしょう。ただ、このことばが一定以上の魅力とともに論争性を有するものとして中国国内外知識界の関心を呼び起こすものであることは、今日の儒教ブームからしても容易に察しがつきます。だから、甘陽氏の意図がどこにあったかという問題とは別に、こうしたことばは刺激と共鳴をともなってきます。
例えば、『開放時代』2007年第4期に掲載されている蘇力氏(本名は朱蘇力、北京大学)の《费孝通、儒家文化与文化自觉》は、費孝通の農村文化論(礼治秩序、差序構造など)を儒家思想の近代的展開として位置づけつつ、農村社会の礼的秩序を「大国中国」の精神文明の根幹を支える儒家思想の生きつづける源泉として自覚化していく必要を訴える論文です。これなどは、溝口雄三氏の「中国的“公”」論にもつながる議論でもあると同時に、現代新儒家とは異なったかたちで宋代以降の儒家思想を今日的文脈の中で活性化していこうとする試みであるという評価も、とりあえず成立するでしょう。
しかし、当然のことながら、なぜ今にしてまた儒家なのか、どうして儒家でなければならないのか、という根本的な疑問がこのような傾向にはたちどころに生じるのであって、以前紹介した『読書』当該号の編集後記(本ブログ《儒家传统和社会主义》を参照)は、その作者汪暉氏が、全面否定とはとうてい言えないまでも、甘陽氏とはかなり異なった認識を持っていることを十分に伝えています。儒家思想と社会主義がそもそも結びつきうるものなのか、仮にそれが可能であるとして、それはどのように可能なのかという問題が、アクチュアルな状況の中から生起してくるだけの現状が確かに存在しているのらしいということを、この編集後記は伝えています。
一方、『読書』2007年第8期は、甘陽氏に対する応答として、韓東育氏(東北師範大学)の《也说“儒家社会主义共和国”》と王思睿氏の《中国道路的连续与断裂及其他》を掲載しています。王氏は、アメリカ的な「新資本主義(民主資本主義)」とスウェーデン式の「新社会主義(民主社会主義)」と、両者の中間としての混合モデル以外に参考となるべきモデルはなく、両者いずれをとるにしても憲政デモクラシーの実現こそが、最低限の要件になると主張するとともに、「儒家の共和国」という言い方自体が、宗教・思想の多様性を滅却した政治不正確な物言いですらあることを、ストレートに批判しています。これに対して、韓東育氏は、甘陽氏の議論から溝口氏の議論へと遡及しつつ、後者の論理的矛盾を指摘するとともに、80年代のNIEs勃興期に生じた儒教ルネサンスの思潮自体が幻想の産物であったと冷静にふりかえっています。韓東育氏の議論は、相変わらずの「儒家」信仰に対する冷めた視線を保っている点で味わい深いものです。

実際のところ、儒家に比べて、中国人は自分のことを「炎黄(炎帝・黄帝)の子孫」と呼びたがっているものだ。だが、もしも誰かが本当に今の中国のことを「炎黄社会主義共和国」とでも呼ぼうものなら、きっと中国人の大多数が納得しないだろうし、おそらくは甘陽氏自身もそれに反対するに違いない。結局のところ、「先賢」たちが後代の人々から得たものはといえば、「冷めた豚の頭の肉」のようなお供え物に過ぎず、したがって、古人にせよ現代人にせよ、それらの「わだかまりを解く」ための考え方とかやり方は、必ずしもまじめくさったものではない。馮友蘭の次のような理解はすこぶる適切だろう。「儒家のことばにしたがえば、祭礼を執り行う理由は、もはや鬼神が本当に存在していると信じているからではではない」、「礼を行うのは、祖先をまつる人の祖先に対する孝敬の気持ちに発するのであるから、礼の意義は詩的なものであって宗教的なものではない」。

あるいは、韓東育氏の指摘は、「儒家社会主義」論に対する総括批判なのではなく、むしろもう一つのはじまりなのかもしれません。

Monday, October 8, 2007

幸福的蓝图谁来画?

于丹(北京師範大学)氏の《论语心得》は、なんと400万部の売り上げを記録したそうです。中央電視台(CCTV)の人気番組《百家讲坛》でブレイクして以来、すっかり時の人となったという話はわたしも聞いています。于丹氏の個性が近年来高まりつつあるという儒教復興ブーム(読経ブーム)の後押しを受けて、爆発的なヒットとなっていることについて、『読書』8月号では、貝淡寧(Daniel A. Bell)氏が《《论语》的去政治化:于丹《论语心得》简评》という評論を寄せています。貝氏はカナダ出身の哲学研究者で、「貝淡寧」はその中文名です。現在清華大学の倫理学・政治哲学教授。貝氏は次のように述べています。

例えば子貢が政治について尋ねた著名な段落では、孔子は、政府は十分な武器と食糧を獲得して国を守るべきであり、庶民は統治者に対して信頼を寄せるべきであるという(食足り、兵足りて、民之を信ず)。続けて、孔子は、それを大事な順に並べるように問われて、十分な武器は最後であり、人民の信頼が最も重要だと述べた。于丹は、この段落を国が関心を持つべきなのは人々の幸福であってGDPではないというふうに解釈している。しかし、わたしたちは人々が幸せであるとか政府に信頼を寄せているといったことをどうやって判断すればよいのだろう。彼女が示唆しているのは、個人の心の受けとめかたであって、政府が人民のために行う何らかのことがらではないということだ。彼女は、それを説明するために、顔回が貧困の中でもとても幸せであったという例を出している。だが顔回というのは最悪の例だろう。まず、彼は幸せを目指そうとはしていない。彼が目指しているのは「道」であり、善人になること、世界をもっとすばらしいものにすることなのだ。その信念と使命感が彼に力を与え、苦しい生活の中でもめげることなく、道徳を見失うことがなかった。しかし、多くの人にはこのようなヒロイズムはない。

一方、『天涯』2007年第5期は、銭理群氏の《乡村文化、教育重建是我们自己的问题》を巻頭に掲載しています。《乡村教育的问题和出路》という本の序文として書かれたものだそうですが、この本自体についてはわかりません。この文章に記されているさまざまな具体的な事例についてはいちいち紹介するわけにはいきませんので、興味のある方は上のリンクからどうぞ。ただ、現下の状況について魯迅研究者の銭氏らしい概括を行っている部分を引用しましょう。

今年の初め、『生きる理由と生き方』という文章を書いた。論じたのはシェークスピアに登場するデンマーク王子の有名な命題に対する中国からの応答だ。そこで、魯迅の『孤独者』に示された三段階の「生きる理由」について語った。それは、「自分のために生きる、「わたしを愛してくれる」人のために生きる、敵のために生きる」というものだ。(中略)日常生活の倫理や論理が覆された後には、これらはすべて揺るがざるを得ない。人々がただ「カネ」のためだけに生きるようになり、精神的な支えを失ったとき、生活の中で挫折を迎えたり、物質的な欲望が満たされなくなったとたん、生きるエネルギーを失ってしまうことになる。家庭の愛情が希薄になり、功利的になり、家族の情操機能が劣化してしまえば、親や家族の愛情を子どもが感じることができなくなり、もしくは感じたとしても不十分である場合には、「わたしを愛してくれる者のために生きる」という動機も失われてしまう。(中略)事実は深刻なのだ。農村文化が衰弱し、農村教育の文化性が失われてしまっていることは、すべて知らず知らずのうちに青少年から「生きる」理由や、生命の意義や楽しみを奪うことになる。そして、自分たちの子孫たちが有意義に、楽しく、健康に生きていけるかどうかという問題は、一つの民族にとって小さな問題ではあり得ない。

儒教文化の復興を支えるその消費者たちの生活と、疲弊する農村で掙扎する人々とその子どもたちの生きざまは、どれほど重なってきているのでしょうか。儒教ルネサンスが与えるであろう「生きる意味」とは、どこまで広がる可能性を持っているものなのでしょうか?